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 その160 影は消えて




 愛を確かめ合ってから、二人の話し合いは現実味を増し、いっそう具体的になった。
 何度も相談を重ねた上、式は年が明けたらすぐ行なうことに決めた。 年末は気ぜわしいし、加藤に言わせると春は遠すぎるからだ。
「でも、やることが一杯あるよ」
 そう藍音が言うと、加藤は精力的に笑った。
「時間が限られてると集中してやるから、案外うまく行くもんだ。 まず家捜しからだな」
 これなら藍音も自信があった。 何しろ、ちょっと前に今のマンションを探して見つけたばかりだ。
「式には何人ぐらい呼ぶ?」
「そうだな〜、上司に同僚、親戚や学校友達なんかを入れると」
 けっこう多くなりそうだ。 藍音のほうも大きな事務所に勤めているので、小じんまりした式場では入りきらない感じだった。


 式の予定が決まってからのデートは、前より楽しくなった。
 加藤も、買い物や家の見学会など行き先が山ほどできたため、デートスポットをいちいち考える必要がなく、満足げだった。
 待ち合わせて車や電車で向かい、ゆとりを持って見て回った後、食事する。 時には仕事で会えないこともあったが、もう不安になることはなかった。
 式次第については、初め友達に祝福してもらう人前婚を考えたものの、カップルどちらの職場も堅い仕事ということで、ちょっと古風に仲人を立ててやることになった。
 その人材はあった。 加藤父の知人が議員で、しかも警察出身だったのだ。
「若い藍音には堅苦しくなっちゃうかもしれない。 ごめんな」
 花嫁には式に夢があるものだ。 二人きりで決められなかったのを気にしている加藤に、藍音は軽く抱きついて答えた。
「確かに若いけど、世間知らずじゃないから。 きちんとした式もいいじゃない? もう逢えないんじゃないか、一生結婚なんてできないんじゃないか、まで思ったんだもの。
 それに、慣れた仲人さんに指導してもらえたほうが、楽かもしれない。 その分、ドレス選びや招待状書きに時間が取れる」
「いつもいい方に考えるんだな。 頼もしいよ、藍音」
 お世辞でなく本心から、加藤は感心して褒めた。




 広く上品な会場で、静かに行なわれた挙式。
 やや淡々としていたかもしれないが、その代わり厳粛な雰囲気があって、藍音はむしろ幸せな気分になった。
 仲人夫妻が張り切って和服にしたため、合わせて打掛けにしたのも大成功だった。 まさかこんなに似合うとは、という豪華な中に楚々とした花嫁さんで、ポスターのモデルより美しいと列席者の目を奪った。


 式が静粛だった分、若者たちは披露宴ではっちゃけた。 ゲームあり玄人はだしのミニコンサートあり、果てはBB弾の射的大会まで飛び出して、レストランの貸切時間が過ぎても皆帰りたがらなかったぐらいに盛り上がった。




 未来を覗く鏡があったら、そこにはきっと、藍音の両親が仲直りして、父の実家に行った姿が映るだろう。
 藍音たちと両親は、なんとトビーの取りっこになった。 一軒家で狭くても庭がついてるんだぞ、と威張る父は、終いに泣き落としで小犬を略奪していった。
「頼むよー、俺たち老い先短いんだから、もうこんなになついてくれる犬には巡りあえないよ。 な、トビー?」
というわけで、藍音は泣く泣く犬を手離し、代わりに加藤の父が拾ってきた子猫を新居に連れて行った。


 やがて猫は成長して加藤の実家のヤマちゃんそっくりになり、チビタからオオチビと呼び名が替わる。
 そして二年後には、新婚家庭にガタイのいい男の子が生まれて、オオチビをお守り役としてすくすく育つようになるのだ。
 加藤は数回転勤し、順調にキャリアを積んで、三人の子供のいい父親になる。 そして藍音は幸せな家庭に後押しされ、腕のいい税理士となって、個別のオフィスをもらえることに。
 その間、遺産は塩漬けになり、いざというときの心強い秘密として、金融機関の中にひっそりとしまいこまれる……


 ただし、貯金や預金は埋蔵金にはしておけない。 何年かに一度は出し入れしたり、通帳を書き換えたりしなければならないのだ。
 その際も含め、毎年五月に近づくと、藍音の心はあの恐ろしかった日々の記憶と、渡部邦浩への追憶で揺れた。
 ひとつ、心にかかる思い出がある。
 加藤と話をするようになって間もなく、うすら寒い雨の朝にトビーと散歩していると、傘を差した男の人とすれちがった。
 早朝はめったに人の通らない道だから、印象に残った。 しかもその男性は、不自然なほど前に傘を倒していて、顔どころか上半身がほとんど見えなかった。
 お互いに、ただ通り過ぎただけ。 その人が足を引きずり加減だったことは、後で思い出した。
 記憶は年々薄れていくものだ。 しかし、その朝の出会いは、なぜかときどき夢に出てくる。
 もしかすると、あれは実の父だったのか、という思いが、ずっと消えない。










[終]









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