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表紙

 その158 過去の清算




 その後、二人は目的の駅まで行かず、途中で電車を降りた。
 手をつないで向かった先は、静かな環境にある中規模のホテルだった。


 どちらの家庭も、今は温かい。 帰れば誰かが迎えてくれ、話が弾む。
 それはいいのだが、ただ一つ困るのは、恋人たちがなかなか二人きりになれないことだった。
 季節は夏に近づいていた。 あと一ヶ月もしたら、休みを合わせて海へ行こうと約束している。 そのとき、初めての泊りをしようと暗黙の同意があったが、藍音は今夜、強い結びつきを早めようと決心していた。
 もっと前にそうなってもおかしくない、というか、それが普通だろう。 でも二人はどっちも照れくさがり屋で、ここまで踏み切れなかった。


 仕事柄、加藤は宿泊施設に詳しかった。 少なくとも、調査したことのある地域では。 だから、選んだのはなかなか行き届いた上質なホテルだった。
 すっきりした部屋に入って、フカフカのベッドが目に入ると、心臓が跳ね上がると同時に、嬉しさと恥ずかしさが同時に襲ってきた。
 だから、お先にどうぞ、と加藤をバスルームに押し込んだ後、窓から夜景を眺めて気持ちをゆったりさせようとした。
 ほのぼのと始まった交際だった。 ここまで来るのにあれほど苦労することになると、誰が思っただろう。


 交際といえば、加藤と再会を果たした後、山路から一度だけ電話があった。 藍音からパタッと連絡が途絶えたので、気になってかけてきたらしい。
 白けた気持ちを押さえて、藍音は普通に応じた。 すると山路は安心したのか、計画を実行すべく、勢い込んで話し出した。
「あ、藍音ちゃん元気? 仕事どう?」
「疲れる。 少しずつ慣れてきたけど」
「そういうときは気分転換したほうがいいよ。 今度の土曜にモトクロスの大会があって、友達が出てるんで、一緒に見に行かない? 迫力で、かっこいいんだ」
「あーっと、ちょっと無理だと思う」
「無理って? 予定あるの?」
 意外そうな口ぶりに、藍音はカチンと来た。 もてないと思い込んでいるらしい。
「予定っていうんじゃなくて、彼が許してくれないと思う」
 一瞬、間が空いた。 それから、気の抜けた声が訊いた。
「彼?」
「そう。 この間、正式に婚約したの」
 無意識に言葉が弾んだ。
 また僅かな沈黙があり、その後、山路は予想外の行動を取った。
 いきなり電話を切ったのだ。
 カモにならないなら、もう用はない、という露骨な態度に、藍音は呆れた。










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