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 その152 母との対面




 マンションに入って、二人が自宅のドアの前に立つと、中からかすかにトビーの吠え声が伝わってきた。 脅しをこめた強い調子ではなく、甘えるような高い声だ。 彼は明らかに、加藤を覚えていた。
 玄関扉を開けたとたん、母が居間から顔を見せた。
「遅かったね。 ちょっと心配しちゃった……」
 言葉が途切れた。 母の目がまじまじと加藤を見つめた。
 その足元から小さな頭が覗いた。 トビーだ。 小犬は嬉しそうにハッハッと言いながら玄関に下り、久しぶりに会った加藤のズボンに顔をこすりつけ、靴の匂いを嗅いだ。
 藍音は急いでドアを閉め、連れてきた客を紹介しようとしたが、喉に何かが詰まったような声になった。
「ただいま。 えーと、この人は加藤さん。 加藤晶っていって、豊島区の警察に勤めてるの」
 同時に加藤がきっちり頭を下げて挨拶した。
「初めまして。 連絡なしにお邪魔して申し訳ありません」
「いいえ、とんでもない」
 母は胸に手を当てた。 光に似た微笑が、驚きでわずかに震える頬に、ゆっくり広がっていった。


 最初、加藤はひどく緊張していた。 リビングに招き入れられても、なかなか座ろうとしなかったぐらいに。
 しかし、寿美が彼に何の失望や違和感も抱いていないことに、間もなく気付いた。 読んでいた雑誌をサッと片付け、犬の毛がつかないようクッションを裏返す母の動作には、隠し切れない安堵がにじんでいた。
「散らかってて悪いわ〜。 スーツが汚れないといいけど」
「平気です。 犬は好きです」
「犬も加藤さんが好きみたいですね」
 加藤と藍音の両方に代わる代わる甘えかけているトビーを、寿美は目を細くして眺めた。


 車で来たと聞いて、母はアルコール類を出すのを止めた。
 カフェ・ラテを前にしてようやく腰を落ち着けた加藤は、藤咲一家が無実なのに捜査の対象にされて迷惑をこうむったのを詫びた。
「僕の不注意から藍音さんを巻き込んでしまったことを、深くお詫びします」
 沈痛な加藤の謝罪に、寿美も真顔になった。 だが、返事は優しかった。
「ああいう形になったのは不幸でしたが、どっちみち血がつながっているのがわかって、疑いをかけられたでしょう。
 加藤さんには感謝してます。 藍音は芯の強い子ですけど、加藤さんが支えてくれなかったら、あの大変な時期は乗り切れなかったかもしれません」
 その答えで、寿美が藍音本人と同じく、穏やかで考え深い性格なのがわかって、加藤の不安はだいぶ静まった。









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