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表紙

 その148 大事な言葉




 もう一枚の額には、表彰状が入っていた。 三年前のもので、都の剣道大会で準優勝したときの賞状だった。
「すごい」
 加藤はこれまで少しも自慢したことはないが、見事な腕前だったのだ。 鍛える辛さを知っている藍音は、恋人が誇らしくて、はちきれそうになった。


 やがてトレイにブラックコーヒーと砂糖とミルクを載せて、加藤が戻ってきた。
 藍音が賞状のことを話すと、彼はさりげなくはぐらかしてしまった。
「親父が柔道やってて、そっちじゃ叶わないから剣道にしたんだ。 それだけ」
「それだけで二位になれる?」
「次の年は四位に落ちちゃったからな。 優勝目指すにはもっと身を入れないと」
「勝つのって快感だよね〜」
 中学生時代を思い起こして、藍音は夢見る目になった。
「他の誰でもない自分の力だから。 すごく自信になる」
「陸上、強かったんだって?」
「中学まではね」
「足速いってのはいいよな」
 一息おいてから、加藤は少し残念そうに言った。
「おれはそんなに速くない。 でも持久力はある」
「長距離型?」
「たぶん」
「泳ぐの好き?」
「うん。 潜りもやった」
「私も!」
「スキューバ?」
「そう。 大学一年の夏休みに、友達に誘われて講習に行ったの」
「おれのはさ、そういうしゃれたのじゃなくて、水中捜索用の潜水士試験」
「ああ……」
 藍音は背中がひやっとした。 川や海に潜って証拠品や遺体を捜すための資格だろう。
 彼女がたじろいでいるのを見て、加藤は急いで付け加えた。
「まだ実際に捜索に加わったことはないんだ。 資格取っとけば役に立つと思っただけで」
「巡査部長は、あまりそういうことはしない?」
 藍音が心配そうに訊くので、加藤はつい笑顔になった。
「しない」
「じゃ、一緒に南の海に潜っても、罰は当たらないよね」
「もちろん。 なんで罰なんて?」
 そのとき同時に、二人は新婚旅行のことを考えていた。


 ミルクだけ入れたコーヒーを手早く飲み干すと、加藤はクッションの上に正座して、藍音をまっすぐ見つめた。
 そして真剣な表情で呼びかけた。
「藍音」
 藍音も目を上げた。 すぐに姿勢を正し、怖いほど真面目な加藤の顔を見返した。
「はい」
「おれの嫁さんになってくれ」


 よけいな言葉は一切なかった。
 だがその口調に、すべての熱と望みが込められていた。











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