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 その142 愛する人へ





 藍音の顔は加藤の肩甲骨の辺りに埋まっていた。 彼の表情は見えない。 だが、意識が耳に集中する分、加藤の声に複雑な後悔がにじんでいるのを聞き取ることができた。
「あの時は、おれを悪者にすればいいと思った」
「え〜っ?」
 仰天して叫び声が出た。 するといっそう強く抱きしめられた。
「だってそうだろ? 事件の担当捜査員なのに藍音とグルになってると思われたら最悪だし、君がますます疑われる。 だから真逆をやった。 おれが『やさしい警官』を演じて、君を騙して情報を聞き出そうとたくらんでいたと報告したんだ」
 藍音は言葉を失った。 本当に何と言ったらいいか、しばらく放心状態だった。


 ゆっくり事情が飲み込めると、今度こそ涙を止められなくなった。 藍音は両腕を突き上げるように伸ばし、加藤の首に夢中で巻きつけた。 まともな声を何とか出そうとしたが、途切れとぎれでよくわからない言葉になった。
「そんな……ありえない……晶って……」
「詐欺師の資格あるよな」
 自嘲するように、加藤は呟いた。
 藍音は泣き笑いしながら応じた。
「こっちこそ詐欺師の娘だから」
 そして、うっすらと髭の伸びかかったがっしりした顎に頬ずりした。
「すごく……すごく逢いたかった」
 静かな吐息と共に、加藤も囁いた。
「おれも」
「すごい心配だった」
 喜びと同時に、これまで味わった不安と心細さが頭を混乱させた。 藍音は舌がもつれ、何だか幼児のようになった。
「探したんだよ〜。 だって来てくれないんだもの。 電話もくれないし」
「絶対接触禁止って言い渡されてたんだ。 おれが結婚詐欺まで持っていくんじゃないかと疑われてたらしい」
 藍音は息を詰めて顔を上げた。
「け……結婚?」
 加藤の頬を苦い笑いがかすめた。
「君が被疑者から外れて、大金持ちになるんで……」
 彼が言い切る前に、藍音は素早く彼の口に指を当てた。
「言わないで」
 それから、ありったけの想いをこめて囁いた。
「だから来なかった? あのときは禁止されたって、もう許されるよね? 犯人じゃなかったんだもの」
 藍音の手が、祈るように加藤の心臓の上にすべり落ちていった。
「私から言いたい。 そこまでやって私を守ってくれた人に、ずっと傍にいてほしいって申し込みたい」
「藍音……」
「最高の人なんだ。 晶は最高だよ。 私にはもったいない」
「藍音、なあ」
「もったいないけど、諦めたくない。 他の男の人が小っさく見えるのが、晶のせいだってわかったから」
 必死の眼差しが、加藤の胸に突き刺さった。


 眩しげに瞬きした後、加藤は藍音だけでなく、自分の心にも負けた。
「一緒になったら、なーんだこんな奴か〜ってがっかりするぞ」
 藍音はわななく息を吸い込んだ。
 次いで、骨を失ったように彼の胸に崩れ落ちた。











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