表紙目次文頭前頁次頁
表紙

 その136 話し合って





 そこで初めて敦彦〔あつひこ〕は、藍音の実の父が誰かを知らされた。
 その男性が殺害されたため、第一相続人の藍音が巻き込まれて、どんなにひどい思いをしたかということも。
 敦彦は黙って聞いていた。 藍音と寿美が、交互にぽつぽつと説明し終わった後でも、しばらく無言だった。
 話の内容にようやく納得してから、彼は固い声で呟いた。
「そういえば、東京のどこかで元社長が殺されたっていうニュースを見た気がするな」
 それから敦彦は、目を伏せている藍音をじっと見つめた。
「ひでーなぁ。 二十一、二の女の子が大の男を殴れると、本気で思ったのか〜?」
「動機のある人が、他に見つからなかったからでしょう。 最初のうちは」
 寿美が辛そうに答えた。 その横顔に目をやって、敦彦はいっそう強ばった声で尋ねた。
「動機って遺産だろ? 二人とも受け取ったのか?」
「私にはない!」
 寿美が気色ばんで答えるのと同時に、藍音も母の後押しをした。
「お母さん一銭も受け取らなかったの。 私の養育費も断ったし。 嘘だと思うんならアパートの人たちに聞いてみて。 私のバイト先にも」
 敦彦の表情から緊張と怒りが消えていった。
「そうか…… 今まで十四年もアパート住まいだったもんな。 じゃ、このマンションは……」
「藍音の名義」
 母がぶすっと言った。


 食後にライトビアとノンアルコール飲料を飲み交わしているうちに、わだかまりは消えた。 敦彦は遺産についてそれ以上聞かず、藍音が税理士事務所に就職したことを喜んだ。
「いいぞ、未来の税理士さんか。 まだ早いけど、将来退職するとき相談に乗ってもらうかな」
「そのときまでに一人前になれるよう頑張ります」
 二人が笑いながらコップを打ち合わせるのを、寿美がくつろいだ様子で見守った。
 

 四時になって、敦彦は腰を上げた。 卒業式で撮った写真は、自分でプリントして後で渡すと、彼は約束した。
 寿美が玄関まで送っていき、二人はそこで少しの間立ち話をしていた。 リビングを片付けながら、藍音は予感した。 母はそのうち、このマンションを出ていくかもしれない。 こんなに長く父が離婚も再婚もしなかったのは、母に勝る相手が見つからなかったかららしいのだ。 久しぶりの妻を眺める敦彦の目は、どこか眩しげで熱を持っていた。









表紙 目次 前頁 次頁
背景: はながら屋
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送