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その133 幻の父帰る
そうこうしているうちに冬休みは終わり、卒業式が近づいてきた。
藍音と母は新調の服を揃え、その日を待った。 高校のときよりずっとそわそわした気分になるのは、これが最後の卒業式だというだけではなく、戸籍上の父親が来るという緊張感も手伝っていた。
そして式当日の朝、遂に父の藤咲敦彦〔あつひこ〕が母子のマンションに現われた。
ドアを開けて夫を迎えて、母の寿美は一瞬言葉を無くした。 敦彦のほうもなかなか第一声が出ず、旅行バッグを引いて立ったまま、黙って妻と目を見合わせた。
そこへ、奥で朝食のトーストを焼いていた藍音があわてて出てきたため、敦彦の視線がリビングの出入り口に移った。 そして、ぎょっとしたように見開かれた。
「藍音……?」
「そう」
藍音も反射的に答えた。 久しぶりの対面をさんざん予想したのに、実際には顔を合わせたとたん緊張が嘘のように吹き飛び、ごく普通に声が出た。
敦彦はかすかに首を振ると、心から驚いた口調になった。
「背、伸びたなあ。 俺とそんなに変わらないだろ」
「162センチだけど」
「ええ? そんなもんか?」
「ここ高くなってるから。 上がって。 トースト食べる?」
「もう食事作ってんのか?」
「うちは早起きなの」
そう言う藍音の足元からトビーが顔を覗かせて、自信なさげに一声だけ吠えた。 相手は見知らぬ人間だが、寿美と藍音が歓迎しているのに鋭く気付いたらしい。
犬好きの敦彦の顔がほころんだ。 体をかがめて手を伸ばすと、トビーは用心しながら近づき、指先をくんくん嗅いだ。
「こりゃまた器量よしの犬だな」
「前のアパートのおじさんが亡くなってね、うちで引き取ったの」
「名前は?」
「トビー」
「おまえが赤ん坊のとき、犬飼いたかったんだが、毛にアレルギー出るといけないからもうちょっと大きくなってからってことで、そのままになったんだよ」
「ふうん、アレルギーはないよ。 食べ物にも何にも」
「よかったな」
「うん」
十三年の別れなんかまったくなかったように、二人がどんどん話していくのを、母の寿美は小さく口を開けて見守った。
密かな緊張が隠れているにしても、二人は撃てば響くように会話を続けていた。 リビングに入るとき、敦彦の手が軽く娘の肩に触れた。 同時に、寿美にも聞こえるぐらいの大きさで、彼はぽつりと口にした。
「ごめんな。 大人の喧嘩に巻き込んじゃって」
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