表紙目次文頭前頁次頁
表紙

 その125 困難な善行





 やがて学校は夏休みに入った。
 その年は、例年になく暑い夏だった。 汗まみれになって就職活動に飛び回っている同級生がまだ多い中、藍音は好みの服を着て、気温がそれほど上がらない朝のうちに税理事務所へ通勤を始めた。


 その少し前、警察で名簿を受け取った後、藍音は高槻弁護士のところへ相談に行った。
 行ってよかったと、今では思う。 だが、最初にたしなめられたときは、ちょっとムッとなったのも事実だった。
「あなたの気持ちはわかります」
 まじめな表情で、高槻は応じた。
「法律的に裁かれなかったにしても、不法な手段で手に入れた金を元に、財産を築いたと思われてるんですよね?」
「はい」
 藍音は思わず身を乗り出した。 すると高槻は一転、厳しい顔になった。
「しかしですね、その考えは甘いですよ」
 ぎくっとなって、思わず藍音は姿勢を正した。
 弁護士は、やや強い口調で続けた。
「沈没船を引き揚げるのは、株や証券に投資するのとは訳が違います。 大きなリスクが伴うことは、初めからわかっていたはずです。
 彼らはね、夢を買ったんですよ。 一攫千金の夢をね。 カジノの一点張りと同じ心理で、スリルがほしかったから金を出したんです」
「でも……」
 藍音が反論しかけると、高槻は厳しい目を向けて遮った。
「大抵は余裕のある実業家たちでしょう。 純粋に、文化遺産の発見に力を貸したかった人もいると思います。
 でも中には賭博中毒がいるかもしれません。 彼らは破滅型で、何をするか行動の予測がつかない。 若いお嬢さんが対処するには危険すぎます」
 それから高槻は両手の指先を突き合わせて椅子の背にもたれ、思わぬ洞察力を見せた。
「大型の遺産を受け取って、何か悪いことをしたように思われてるんじゃないですか? それは違いますよ。
 今、総額を見積もり計算しているところですが、申告した後に税務署もせっせと同じことをして、莫大な相続税をかけてくるでしょう。 正直に届けたあなたのお金は半分近くに減りますが、回りまわって、国民のために使われるわけです。 ちゃんと社会に貢献することになります」
「はい」
 藍音の声が小さくなった。 なんか納得できない。 でも、弁護士の言葉にそれなりの理屈があるのは認めざるをえなかった。


 事務所を後にする前に、弁護士に言われた言葉が、藍音の心に突き刺さった。
「お金は怖いものです。 みんなが欲しがりますからね。 派手に使わずにこれまでの生活を崩さないお宅の方々は、例外的に立派だと感心しています。
 ですが、人に同じ節制を求めるのは難しいです。 他人を信用しすぎないように。 それが結局は、相手の人のためにもなります」









表紙 目次 前頁 次頁
背景: はながら屋
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送