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その119 次の生活へ
山路〔やまじ〕青年は、人見知りしないが図々しくはなかった。 藍音が目立たないところにゴミ袋を隠すように置いて、また家の中に戻ろうとすると、忙しさを察して、軽く手を上げて戻っていった。
だだっ広い家の、しーんと静まり返った室内に入り、次のダンボールを開けようとして、藍音はふと手を止めた。
これだけの大きな家だ。 遺品の整理は業者に頼んで大掛かりにやってもらうのが楽だし、普通だろう。 しかし、渡部邦浩という人は秘密が多く、おまけに整理好きで、具合の悪いものまできちんとまとめて残していた。 だから、全て目を通してから捨てないと危険なのだ。
それにしても、荷物は果てしなく多かった。 腕が疲れたし、背中も痛い。 中でも一番疲れて痛いのは、いちいち書類を読まなければならない眼だった。
ちょっと休もう。
そう思って、居間のソファーに腰を降ろした。 来るときに買ったサイダー缶を立派な冷蔵庫から出してきて、テーブルに載せて。
ひやっとした炭酸の感触が、喉に快かった。 ゆっくり飲みながら、藍音は改めて考えた。 今日で片付けを始めてから一週間になる。 ここに来る度に、藍音は密かな期待を抱いていた。 誰かが緩めたらしい裏木戸の掛け金を上げて、加藤が姿を現すのではないか。 そしてあの鋭い目で庭を見渡し、ガラス戸の奥にいる人影を認めて、近づいてくるのではないかと。
逢いたかった。 夢に見るほどだった。 これまで二度、二丁目と三丁目を歩き回って、加藤と表札の出た家をさりげなく探したことがある。 全部で十二軒もあった。
どの家か確かめるほどしょっちゅう行くことはできなかった。 捜し求めていると思われるのは恥ずかしすぎる。 向こうから離れていき、説明もないのに。
だがそれは、加藤がこの渡部邸によく来ているという話を聞く前のことだった。
思いに沈んでいるうちに、何時の間にか寝入ってしまった。
目を開くと、庭からの光はやや明るさを落とし、柔らかいオレンジ色に変わっていた。
もうアパートに帰る時間だ。 このところ、夜には母と相談して、両方の職場に近いマンションを買おうという話になっていた。 普通サイズの中級でいい。 来年から藍音も就職し、新しくできた友人や同僚を招く機会が増えるだろうから、ということで出てきた話だった。
これで住み慣れた府中市を去ることになる。 加藤からも遠ざかってしまう。 偶然に行き会う機会は、ほぼなくなるだろう。
その前に、彼に逢えれば、会って話したかった。 電話さえ通じなくなってしまい、もう諦め半分だが、それでも藍音はかすかな望みに夢を託していた。
今日も結局、加藤は姿を見せなかった。 藍音は一つ溜息をつき、シャワーをさっと浴びるために豪華な浴室へ入っていった。
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