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 その118 片付け期間





 翌日から、藍音はできるだけ時間をやりくりして、毎日のように渡部邸へ通うようになった。
 後片付けは天文学的に大変だ。 だから藍音がよく家に現われ、スパッツとTシャツにデニムのエプロン姿でせっせと働き始めても、周りは不審がらなかった。
 それどころか、ダンボールを一個ずつ解いて、仕分けして有用な物を選び出してから、散らかった床を掃除する、という単調な重労働をこなしていると、たまに玄関や裏口からゴミ出しに出たとき、挨拶されるようになった。
 最初は向かいの家で、汗ばむほどよく晴れた午後に車置き場でレクサスを洗っていた中年男性だった。 燃えゴミを出す順番が次の朝なので、藍音が紙くずを沢山入れた大きな袋を両手に持って出ると、その男性が手を止めて視線を投げ、声をかけてきた。
「がんばってるところ悪いんだけど、生ゴミは今から出しちゃダメだよ。 カラスが集まるから」
 藍音はすぐ笑顔で答えた。
「紙と古着だけです。 それに」
 と、袋の下に持っていたネットを上げてみせた。
「用心のために、これ掛けときますから」
 そこへ、男性の隣の家から青年が不意に現われて、会話に加わった。
「大丈夫ですよ、米原さん。 その家には、もう残ってる食べ物なんかないと思う」
 それは、最初に来たときに写真を見せてくれた青年だった。
 言われて、米原〔よねはら〕と呼ばれた中年男性は照れ笑いした。
「そう言えば、そうだよな」
 青年もニコッとしてから、広い道を渡って藍音に近づいてきた。
「お疲れさま、一人で大変でしょう?」
「少しずつ片付けてます」
「ゴミなんかは、あの車庫の横にある凹んだところに置いといてくれれば、僕が朝に出しときますよ」
 藍音は驚いて、親しみやすい表情の青年を見上げた。
「いえ、そんな。 ご迷惑ですから」
「別に迷惑じゃないですよ。 って言うより、ここに住んでくれたら嬉しいなって思う」
 は?
 改めて、藍音は青年の顔を見つめてしまった。 これは……ナンパされてるのだろうか。
 彼は見られても動じず、笑顔を大きくして自己紹介した。
「山路です。 山路直文〔やまじ なおふみ〕。 院生してます」
 大学院生か。 だから日中でも家にいることがあるんだ。
 行きがかり上、藍音も名前を言わなくてはならなくなった。
「藤咲藍音です」
「よかった〜」
 山路直文の笑顔がますます輝き、眉が生え際に届きそうになった。
「やっと名前教えてもらえて」










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