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 その117 写真の男は





 青年は、どこか自慢そうにカメラを操作した。 上等なカメラの大きな液晶画面に、渡部邸の庭にそびえる青々とした立ち木と、その下に立つ紺色のジャケット姿の男が、くっきりと現われた。
 その瞬間、藍音の体が硬直した。 胸を強く圧迫されているような感じで、息が苦しくなった。
 厳しい目付きで庭を見渡しているのは、他でもない加藤晶だったのだ。


 二度大きく息を吸ってから、藍音はようやく声が出た。
「いいんです、この人は……この人は警官です」
 青年はきょとんとした顔になったが、すぐ表情を緩めた。
「ああ、そうなんですか。 よかった。 たぶんパパラッチ対策ですね。 一時は門の前にたかってたし、中に入ろうとしてた連中もいましたよ」
 彼の快活な言葉は、ほとんど藍音の頭上を通り過ぎていった。 藍音は画面から目を離せなかった。 そして、心の奥で悲しんでいた。
 晶の写真を一枚も持ってない。 もちろん二人で写った写真も。 前は、警察に家捜しされても、付き合っている証拠にならないからよかったと思っていたが、今は違う。
 この写真が欲しかった。 だがまさか、そう口に出すわけにはいかない。 藍音はあいまいな微笑を浮かべて、青年に礼を言った。
「わざわざすみません」
 寿美も挨拶を添えた。
「ありがとうございます。 この辺りはいい住宅街ですね」
「え? ああ、静かなことは静かですね。 僕は生まれたときから住んでるんで、実感ないけど」
 青年は照れたように答えた。


 彼と別れた後、母子二人は黙ってバス停まで歩いた。
 停留所にたどり着いてすぐ、母が低い声で尋ねた。
「あれが加藤さん?」
 藍音はハッとした。 すぐ答えようとしたが、うまくしゃべれなくて、ただ首を縦に振った。
 母は間を置いてから、ためらいがちに言った。
「あんたが来ないかなって、期待してたかもね。 偶然に逢うなら、上司もダメだって言えないでしょう?」
「そうじゃないよ」
 反射的に否定しながらも、藍音は母の言葉を信じたい気持ちで一杯だった。










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