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 その112 遺産の波紋





 そのとき、また入り口のドアが開いて、受付係の低い声が聞こえた。
「お帰りなさい。 皆さんお揃いです」
「はい」
 短い応答の後に、すぐ弁護士の高槻が衝立の背後から姿を見せた。
「ご足労いただいたのにお待たせしてすみません。 どうぞこちらへお入り下さい」


 待合室から事務室に入ると、一同はばらばらと散らばった。 良樹夫妻はどっしりしたデスクの前に置かれた椅子二つに、真っ先に陣取り、藤崎母子は右手の本棚近くにあるソファーにひっそりと座った。
 麻衣子は左に置かれたファイルケースの傍に一人で腰を降ろし、龍永は立ったまま、奥の窓際に寄りかかった。
 弁護士はデスクの後ろで、カギのかかった書類箱を開け、封緘された大きな封筒を取り出して、ひとつ咳払いをした。
「では故渡部邦浩氏の遺言書を開封いたします」
 とたんに部屋は緊張した沈黙に包まれ、紙のかさかさいう音だけが少しの間響いた。
 もう一度咳払いして、高槻は広げた書類をしっかりした声で読み始めた。


 三分後、長男の良樹は顔を真っ赤にして椅子の肘掛を握り締めていた。
 麻衣子はうつむいて膝のバッグに目を落としていた。 最初からその姿勢で、遺言条項を聞き終わっても、ただ頭の角度がいっそう低くなっただけだった。
 変わらず平静を保っていたのは、兄弟の中では比較的経済状態が悪いと思われている龍永だけだった。 彼は口笛でも吹きそうな顔をして、他人事のように上品な室内を見渡していた。
 前もって自分の相続分を知っていたにもかかわらず、藍音はひどく肩身の狭い思いを味わっていた。 動産だけで八十億を軽く越える遺産のうち大部分を譲られる上、殺人現場となった自宅や伊豆の別荘まで貰うことになったのだから。
 残りの兄妹たちには分けへだてなく、同じ金額が贈られた。 それぞれ八億ずつという結構なお金だったが、全体の遺産が大きいだけに、良樹夫妻から見ればスズメの涙程度にしか思えないらしかった。
「相続税を払うと、わずかしか残らんな」
 夫が吐き捨てると、妻も負けずに口を尖らせた。
「貰う資格があるのかと思う人もいるし」
 それまで呑気〔のんき〕にしていた龍永が真顔になって、麻衣子の横に歩み寄った。
「姉さんは関係ないでしょう? 駒石の義兄さんが勝手にやったんだから」
「私は辞退しませんよ」
 麻衣子がふてくされたように言い返した。
「駒石に貯金使い込まれて、改築費が足りないのよ」
「そんな必要ない」
 龍永も口を合わせた。
 弟妹が共同戦線を張ったのを見て、良樹はいっそう不機嫌になった。
「あんな奴、離婚するんだろうな」
「まあ、そうなるでしょうね」
 麻衣子は歯切れが悪くなり、また下を向いた。









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