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 その111 複雑な問答





 龍永がふと漏らした言葉を耳にして、良樹夫妻の顔色が変わった。
 二人はほとんど同時に藍音に視線を集め、穴があくほど見つめた。 へきえきした藍音は、地位が高くても礼儀を欠く人たちだと思わずにはいられなかった。
 向かい合って置かれた三人掛けのソファーの片方は、良樹夫妻と麻衣子で一杯だった。 もう二脚シングルチェアーが置いてあるので、そっちに座るかと思ったが、龍永は気楽な様子で藍音の横に腰を降ろした。 そして、のんびりした口調でずばりと訊いた。
「邦兄いのお子さん?」
「龍永!」
 間髪を入れず良樹の声が飛んだ。 だが藍音は気にせず、明確に答えた。
「はい」


 苦りきって、良樹はソファーの背もたれにずしんと寄りかかった。 そして口をはっきり開けずにぶつぶつと呟いた。
「何もこっちから認めることはないんだ」
 龍永は皮肉な笑いを浮かべて内ポケットから煙草を取り出したが、禁煙なのを思い出してまたしまった。
「こっちが認めなくたって何も変わらないよ。 兄いによく似てるじゃない? ついでに言うと僕にも」
「わたしには似てない」
 良樹は威張って言った。 似てなくてよかった、と、藍音は密かに考えた。
 龍永はというと、長兄の意見にあまり重みを感じていないようで、かまわず藍音の方を向き、にこっと笑った。
「悪いね、君がここにいないみたいな話し方して。 僕は渡部龍永。 邦浩の弟です」
 藍音はさすがに緊張して、ぎこちなく頭を下げた。
「藤咲藍音です。 初めてお目にかかります」
 生き生きした龍永の目に、驚きの色が浮かんだ。
「いやー、行き届いた挨拶だな。 うちの亜貴〔あき〕にはとても言えない。
 学生ですか?」
 藍音は控えめに答えた。
「はい、大学生です」
「どこの?」
 良樹がバカにしたように尋ねた。 しかし藍音の答えを聞いて、彼の顔にもしぶしぶながら驚きが広がった。
「へえ……今何年?」
「四年です」
「就職、大変でしょう?」
 これは良樹夫人の質問だった。 藍音は彼女に視線を向け、淡々と答えた。
「もう決まりました。 夏から研修に行きます」
「あら、辞退しないの? だってお金に不自由しなくなったら……」
 そこで思わせぶりに、夫人が言葉を切った。 ちょっとムッとした藍音が言い返そうとすると、それまでまったく口を開かなかった麻衣子らしい喪服の女性が、静かに口を挟んだ。
「しっかりされてるのよ。 さすが邦兄さんの娘さんだわ」









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