表紙目次文頭前頁次頁
表紙

 その108 二人で悼む





 複雑な心境で遺産の手続きを終えた翌日、渡部邦浩の葬儀が内輪で行なわれる予定の日に、藍音は大学を休んだ。
 母も会社から休みを貰い、渡部邦浩の好物で、カフェでいつも頼んでいたというエクレアを買ってきて、テーブルに並べた。
「これとブラックコーヒーをよく注文していたの。 お供えには一番いいと思う」
「一家のお墓がどこにあるか、高槻さんは知ってるかな」
 藍音が訊くと、母は少し考えてうなずいた。
「昔からの顧客なんでしょう? たぶん教えてもらえるわ」


 それから母は、引出しの奥にしまいこんであった一枚の写真を取り出し、棚を片付けて、小ぶりな花束に挟むようにして、真中に飾った。
 それは、公園での写真だった。 クマの遊具に乗った子供時代の藍音と、後ろに付き添った背の高い男性。
 大おじさんとしてだけ知っていた父と自分のつながりを、藍音は久しぶりにはっきりと目にすることができた。
 藍音がじっと見つめる写真を、母が肩越しに覗きこんだ。
「一枚だけ残しておいたの。 あんたが大きくなって、お父さんとなぜ別れたか真実を知りたがったら、証拠になると思って」
 声が重く沈んだ。
「でもあんたは聞き分けのいい子だった。 人並みに反抗的だった中三の頃でも、いなくなったお父さんについて私を責めたことは一度もなかった。 ありがたかったけど、逆に辛くてね……」
「もう止めよう」
 藍音は急いで手を伸ばして、母の腕を握った。 母の体温が、じわりと指先に伝わってきた。
「お父さんが行っちゃったのは寂しかったけど、他に苦労したことないもの。 一度もいじめられなかったし、お金のやりくりも当たり前だと思ってたから」
 母は弱い笑顔になると、畳の上にペタンと座った。
「ほんと?」
「神に誓って」
 藍音はおごそかに答えた。
 すると母は視線をそらし、部屋の隅に目をやりながら、小声で訊いた。
「あの、あんたの彼は? 最近、話聞かないね」


 藍音の喉に、石のような塊が詰まった。
 きっと母は、ずっと尋ねたかったのだろう。 それでも、捜査の重荷に苦しむ娘に負担をかけたくなくて、そっとしておいてくれたのだ。
 藍音も話したかった。 この苦しさを打ち明けるのは、母しか考えられなかった。
 口をあけると、ウッという呻きが飛び出してきた。 もう言葉にならない。 藍音は中腰の母にしがみつき、子供のように涙にむせんだ。









表紙 目次 前頁 次頁
背景: はながら屋
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送