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 その82 通帳は多額





 警察からの呼び出しは、少し遅れて十時過ぎになった。 昨日の母への聴取を検討して、新たな意思統一を図ったのかもしれない。
 藍音は、もっとも小額の通帳をバッグの底に入れて、家を出た。 外はよく晴れていて、長い休みが終わった人々の仕事疲れを慰めているように爽やかだった。


 取り調べもまた、以前よりずっと穏やかになった。 栗田は姿を見せず、大溝〔おおみぞ〕という小柄な中年の刑事が、とつとつとした口調でまた初めから話を聞きなおした。
 眠くなるような尋問に、藍音はきちんと答えていった。 そして、動機に関するところになって、デニムのバッグの底から通帳を取り出した。
「昨日、母が旅から帰ってきて初めて教えてくれたので、これ持ってきました。 渡部さんは私のためを思って、生前贈与していたんです」
 渡された通帳をめくってみて、大溝は髪の生え際に届くほど眉を吊り上げた。
「これは凄い。 限度一杯まで入ってる上に、定期だの定額だの」
 素早く計算した後、彼は唸った。
「一億を軽く越えてる」
「これだけじゃないんです」
 藍音は正直に告げた。
「あと四冊、同じようなのが」
 大溝は口笛を吹きそうに唇を丸めた後、搾り出すように尋ねた。
「まったく使った形跡がないけど、他のも?」
「はい」
 藍音は堂々と答えた。 すると大溝は天を仰いだ。
「そんだけ持ってて、あなた達アパート暮らし?」
「はい」
 皮肉な話に、藍音自身も変な気持ちがして、笑顔が出そうになった。


 動機に矛盾が出てきたのは明らかだった。
 一応最後まで詳しく質問されたが、それ以上の追及はなく、藍音は昼前に取り調べから解放された。
 と言っても、終わりではなかった。 他に有力な容疑者が見つからない以上、親子喧嘩の線は捨てられない。
 まっすぐ家に帰る藍音も、意地になっていた。 こうなったら通帳にいくら入っていようが使うもんか。 自分の小さな財布を出して、昼食用にハンバーグ弁当を一つだけ買って、バスに乗った。


 いつものバス停で下りたところで、無性に加藤の声を聞きたくなった。 周囲を見回したが、公衆電話のボックスはこの辺りから消えている。 まだ容疑者なんだろうが逮捕されたわけではないから、携帯電話の通話記録は今のところ調べられないと思った。
 藍音はポケットから携帯を出し、表通りから一本入ったところでかけた。














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