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 その74 帰国直後に





 空港のロビーで迎える娘の顔を見た瞬間に、母の寿美は何か悪いことが起きたのを悟った。
 藍音はすぐ笑みを浮かべたのだが、母は旅行に同行した会社仲間に短く別れを告げると、大急ぎで娘に小走りで近づいた。
「どうしたの!」
 それは問いではなく、ほとんど悲鳴に近かった。


 とりあえず、二人は待ち合わせ用のソファーに向かった。 疲れているはずの母が藍音を引きずるようにして強引に腰掛けさせ、横にくっついて座った。
 母がまた質問を始める前に、藍音は先手を取って尋ねた。
「楽しかった?」
「うん、楽しんだよ。 だけどそれは後で」
 母の手が藍音の手に重なった。 乾いた柔らかいぬくもりが、じかに藍音の心にしみこんできた。
「話して。 私が留守の間に何かあったんでしょう? 聞くまで帰らないからね」
 この二日間で、私は思ったよりずっとやつれているらしい。
 藍音は覚悟を決めて、母の心配にあふれた目をじっと見据えた。
「ねぇお母さん、渡部邦浩って誰?」


 母の手が引きつった。
 指が強ばり、次いで燃えるように熱くなった。
 ゆっくり引こうとするその手を、藍音は捕らえて握り直した。
「責めてない。 説明してほしいの。 なぜその人が私の……」
 そこで規則的な靴音が近づき、会話を遮って男の声が降ってきた。
「失礼ですが、藤咲寿美さんですね?」
 すると寿美は、娘を抱くように腕を伸ばして、きっとした表情で顔を上げた。
「そうですけど、どなたですか?」
 目の前に立った男性二人組のうち、年かさのほうが事務的に説明した。
「M警察署の高柳と佐々木です。 お疲れのところ失礼ですが、事情聴取のため同行お願いします」
 寿美の口が、ぽかんと開いた。 こんなに驚いたことは無いという表情だ。 彼女はほとんど途方にくれて見えた。
「ええっ?」
 まだ何も知らないのか、という顔で、二人の刑事は同時に藍音を見た。
「渡部邦浩さんが亡くなった件で、お話を伺いたいんです。 二人とも一緒に来ていただきたいんですが」
 この人たち、ずっと私を尾行していたんだ── 母と口裏を合わせるのを警戒して、その前に証言を取っておこうとしているのだろう。  深い失望に、藍音の心は沈んだ。













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