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 その60 励ましたい





 加藤はすぐ身をひるがえし、藍音に追いついて右後ろにつけた。
 刑事部屋の前に来て、彼はいったん立ち止まった。
「持ち物取ってくるんで、ちょっと待っててください」
 他人行儀な話し方は慣れていない。 喉に石が詰まっているようで、声が固くなった。
 藍音は相変わらず答えないが、すぐ足を止めたのを見ると、ちゃんと彼の言っていることを理解しているのがわかった。


 無表情をつくろって部屋に入っていくと、こちらもさりげない振りをしていた刑事の一人が、小声で尋ねた。
「もう帰すの?」
「明日じっくりやるそうです」
「そうか、前哨戦ってわけね」
 奥で二人席を立ち、目立たぬように裏口から出ていくのが見えた。 加藤はバッグを机から取ると、早足で藍音のところに戻った。


 そこから駐車場まで、ふたたび無言が続いた。 人通りは少なかったが、誰に見られているかわからない。 加藤は自分の車の後部座席に藍音を入れ、車体を半周して運転席に入った。
 注意しながら車道に出たとき、すぐ気付いた。 背後から覆面パトが追ってきている。 今後、藍音の家周辺にぴたりと付いて見張るのだろう。
 交差点でちらりと見ると、藍音は座席に埋まるように座っていた。 首が左にかしぎ、眼は閉じている。 若さは消え、一回り縮んでしまったかに見えた。
 信号が青に変わった。 ぎこちなく発進させてから、ようやく加藤は自分の言葉でしゃべりかけた。
「腹、すいたろ?」


 数秒間、藍音は何の反応も見せなかった。
 やがて、体が小さく揺れ出した。 泣いているのかと加藤が不安になったとき、低くくぐもった笑い声が彼の耳に届いた。
「なんか……すごい普通な言い方……」
「二人とも食いそこなったもんな」
「うん」
 よかった。 打ちのめされてはいるが、藍音は持ち前の落ち着きとユーモアを失ってはいない。 加藤は涙が出るほどホッとした。
 藍音はもぞもぞと背中を動かし、沈み込んでいた座席から体を立て直そうとしていた。
 いくらか元気が戻ってきたのを見通して、加藤は肝心な話題に入った。
「俺が警察官で、驚いた?」
 藍音の首が、いくらかうなだれた。
「そんなでも、ない。 警察に連れていかれる途中で、刑事さんたちが話してたから。 ほんとなら運転するのは加藤晶だったのに、って」












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