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 その37 一枚の写真





加藤は身じろぎして、メモ帳を持ち直した。
「それで相手の女性は?」
 静歌は天井を仰ぎ、小さく手を広げてみせた。
「言わなかった。 最後まで白状しないまま」
「知らないんですか?」
 耳を疑うといった調子で田辺が聞き返した。 すると静歌は明らかに嫌な顔をした。
「慰謝料の条件にされました。 何も知りたがらないことを。 相手の人のことを訊いたり無理に調べたりしなければ、倍にするって」
「じゃ、なんで元ご主人にお子さんがいるのがわかったんです? 浮気相手が誰かも知らないのに」
 その田辺の口調が気にさわったのか、静歌のこめかみに青い筋が浮いた。
「彼の財布が落ちてね、中から写真がはみ出たの。 それが赤ちゃんの写真で」
 短い沈黙が部屋を覆った。


 次は加藤の出番だった。 田辺とは対照的にできるだけ優しく、彼は尋ねた。
「ショックだったでしょうね」
 静歌は目をつぶって頷いた。 加藤は質問を続けた。
「それが八年前ですか?」
「ええ……」
「その写真は、遺品の中に見当たらなかったと思いますが」
「私が焼いちゃったから」
と、静歌が濁った声で答えた。 これは実際には円満離婚なんてもんじゃないな、と、加藤は密かに考えた。


 思い出せるだけ詳しく写真のことを、と訊いてみたが、静歌は多くを話せなかった。
 カッとなって火をつけてしまうぐらいだから、腹が立ちすぎて詳しく観察などしていない。 記憶にあるのは、赤ん坊が白いベビードレスを着ていたこと、畳の上で腹ばいになって、愛らしく笑っていたことだけだった。
「かわいい顔してました。 だからきっと母親もかわいいんでしょ」
「写した部屋の様子、何か思い出せませんか? 和室なら床の間とか、掛け軸とか」
「いいえ。 畳しか写ってなかったです」
「赤ん坊は男か女かわかりました?」
 静歌はあきれたように、質問した田辺をねめつけた。
「真っ白なベビー服着た、ろくに髪の毛も歯もない赤ちゃんですよ。 あなただったらわかるの?」
「傍におもちゃが転がってたとか、手に持ってたとか?」
と、田辺は食い下がった。
「だから、他には何も写ってなかったの。 身元がわかるヒントがあったら、私だってよく見ておきましたよ」
 次第に静歌の声が尖ってきた。












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