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 その35 元妻の店に



 加藤の電話には、ざわざわした喧騒が入り込んでいた。 発車のアナウンスが聞こえたので、藍音は尋ねた。
「今、駅?」
 少々元気のない声が答えた。
「そう、これからそっちへ帰るとこ」
「お疲れ〜」
「確かに疲れてる。 初めての土地に来ると気を遣うからな〜。 ゆっくり滞在できれば、ほんといい所なんだけどな」
 この言い方は、近場にいるんじゃなさそうだ、と藍音は悟った。
 そのとき、気分を変えるように加藤が声のピッチを上げた。
「土産、買ったよ。 土曜に渡すね」
「うわ、ありがと」
 藍音はしまらない笑顔になった。
 そのとき、電話の向こうで誰かが加藤に呼びかけた。
「そろそろ出るぞ、行こう」
「はい」
 短く返事してから、加藤は声を落として囁いた。
「じゃ、また掛けるね。 バイトがんばりすぎるなよ〜」
「わかった、元気でね」
 慌しい中でも連絡してくれたのが嬉しくて、藍音は上気した顔で携帯をそっとテーブルに置いた。




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 電話の前日、加藤と田辺は沼津市に移動して、駅近くの一等地にある『サロン・フラール玉井』を訪ねた。
 白とクリーム色を基調にした明るくて清潔な店は、素人が見てもたっぷり金がかかっているように見えた。 これを渡部の慰謝料だけで建てたのなら、相当な額を貰ったのは間違いなさそうだ。
 ピカピカのドアから中へ入ると、加藤はともかく、中年でいかつい顔の田辺が相当違和感あったのだろう、白のワンピースにクリーム色のボレロを可愛らしくまとった受け付け嬢があわてて立ち上がって、場違いな男二人を横の待合室に押し込んだ。
「あの、こちらで少々お待ちください。 すぐ店長をお呼びしますから」
「えぇっと」
 面食らった加藤が自己紹介しようとしたが、受け付け嬢はおびえたウサギのように、ピョンと戸口へ後ずさりして、急いでドアを閉め切った。












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