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 その31 会う時には



 不意に藍音の息が乱れた。
 土曜の夜…… 週末に食事を共にすれば、自然にその後も付き合うことになるだろう。
 大学生活という貴重な時間を無駄にできなかった藍音は、普通の学生のように遊べなかった。 加藤はいい意味で昔風の堅い男性らしいから、藍音のそういうスレていないところに惹かれているようだ。 それは嬉しいが、経験のなさはやはり不安だった。
「素敵だ……けど」
 ためらう声に、早口になった男の言葉が覆いかぶさった。
「仕事、詰まってるんだ。 ほんとのこと言うと、抜け出せるかどうかわからないくらい。 土曜の夜ならさすがに許してもらえると思うけど、それでも長いのは、たぶん駄目」


 お泊りってことにはならないらしい。
 ほっとする気持ちに、残念だという小さな悔いが入り混じった。
 藍音が承知しようと口をあけたとき、また加藤が言った。
「顔、見たいんだ。 仕事に追われると、よけいに。 ほら、試験勉強のとき、激しくサッカーしたくなったりするよね。 あれよりもっとずっと、こう……」
 うまく言い表せなくて、加藤はもどかしげに呻いた。
「あーっ。 ともかく、来てくんないかな」
「行く」
 今度はすぐ、藍音は答えた。


 俺は大した店知らなくて、と、加藤は飾り気なく言った。
「藍音の行きたい所ある? あれば連れてくよ」
「いやー、私も貧乏学生だから、外部はあまりよく知らないんで」
 そう言いながらも、頭の中にある光景がよぎった。 藍音の大学の食堂は外の人間も利用できる。 食材も豊富で、安い上に味がいい。
 あそこへ彼を連れていこうかな、と、なかば本気で思った。 ただのガリ勉と思われてる私に、あんな大人の恋人がいたら、知り合いはみんな目をむくだろう。
 でも、ぎりぎりで思いとどまった。 加藤晶は、同学年生なんかに見せびらかすにはもったいなすぎる。
「そんなに忙しいなら、仕事場に近いほうがいいね?」
 尋ねると、加藤の声が心なしか慎重になった。
「うん、でもまあ、都内ならどこでも」
「どこにいるか、言ってくれてもいいじゃない。 もしかして、アヤシイ所の近く? えーと、歌舞伎町とか?」
 冗談まじりで問われて、加藤は慌て気味に答えた。
「もうあそこは前ほどあぶなくない」
「そう?」
「そう」
 加藤は一息入れた。
「勤務先は都心じゃないよ。 今度会ったら話す」
「楽しみ」
 藍音は本当にそう思って言った。











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