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 その24 初めての唇



 一瞬ハッとなったものの、藍音はすぐにふわっと力を抜いて、加藤に寄りかかった。
 自分も腕を上げて彼の体に巻きつけたかった。 だが加藤があまりにも強く抱きしめているため、肘から上はまったく動かせなかった。
 すぐに熱を帯びた囁きが聞こえた。
「あったかい」
 私も。
 藍音は目を閉じて、彼の引き締まった体の感触を楽しんだ。
「同じ車に座ってるのが、中年おやじじゃなくて君だって想像した。 背広じゃなくてカジュアルな格好して、これから二人で遊びに行くところだって」
 大きな手が波打つように藍音の背中を撫でた。
「行こうな。 休み合わせて。 あ、その前にご家族に会ってお話してから」
 藍音はうっとりして、彼の肩に顔を押しつけた。 加藤のこういう折り目正しいところが、とても安心だし、大好きだった。
「うん、行きたい。 どこにする?」
「考えよう。 連休の後なら空いてるし、サービスもきっといい」
「そうね」
 足元で鼻息がした。 散歩を中断されたトビーが怒っている。 相手が知り合いの加藤だから我慢しているが、間もなく限界が来て吠え出すだろう。
 藍音はしぶしぶ体をよじり、加藤の鋼鉄のような腕から手を抜き取った。
「トビーを待たせすぎたみたい。 それにあなたのボスも」
「ボスじゃないよ」
 ふっと笑った後、加藤はいったん腕を外したが、それで去ろうとはしなかった。 いきなり両手で藍音の顔を挟むと、唇を重ねた。


 藍音は反射的に目をつぶった。
 突然奪われた割には、キスは優しかった。 反応を探るようにそっと触れ、斜めに動き、下唇をそっと噛んだ。
 経験は乏しいものの、藍音も応えた。 どうするものなのかなと考える前に、体が自然に動いた。
 藍音が彼に顔を寄せ、鼻をすり合わせたり頬を撫でたりしているのを下から見て、とうとうトビーは切れた。
 キャン、ウワンと吠えるだけでなく、四本足を揃えてぴょんぴょんと飛び上がって自己主張を始めた犬を見下ろし、加藤は苦笑を浮かべた。
「焼餅か、これ?」
 藍音もぼうっとなった感覚を急いで元に戻して笑い、身を屈めて犬の背中を軽く叩いた。
「まだトイレしてないから」
 それでも疑っている風で、加藤は首を振りながらトビーの前に手を差し出した。 彼に恨みはないと示そうとしたのか、トビーはその指先をぺろっとなめ、それからまた飛び上がって切迫している状況をジェスチャーで示した。
「やっぱりだ。 もう行かなきゃ。 仕事大変そうだけど、がんばってね」
「おう」
 ちょっと名残惜しそうに犬から藍音に視線を移した後、加藤はもう一度彼女をぎゅっと抱きしめてから、身をひるがえして走り出した。











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