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 その21 旅の用意に



 ゴールデンウィークの初日、藍音は母と買い物に行った。
 デパートに入るのは久しぶりだった。 母は五月三日から六日まで職場の友達とグアムに行く予定なので、旅行用の服を買いに出たのだ。
 しばらく旅をしたことのない母は、とても嬉しそうだった。 今は中高年の旅行が多いので、売り場には実に様々なトラベル用衣料品が並んでいる。 どれも機能的で工夫がこらされており、母の寿美〔すみ〕は何度も感心して娘に話しかけた。
「すごいよこのスラックス。 皺にならないし、汗かいてもすぐ乾いて汚れもつかないんだって。 それに股下寸法が三センチ刻みで六種類もある」
「デザインもいいよね」
 値段もいいが、母が気に入ったなら藍音はすぐ買ってプレゼントするつもりだった。
 しかし母は、かたくなに首を縦に振らなかった。
「いいよそんなの。 せっかく来たんだからあんたの服買えば? ほら、あそこにヤング向きのコーナーあるから、私のが終わったら行こう」
「私はいいって」
 藍音はたじろいだ。 すると母は、いたずらそうな表情になって目を細めた。
「そんなこと言ってると、せっかく捕まえた公僕に振られちゃうよ〜」
 うわっ。
 顔に血が上るのを意識しながら、藍音は母の言葉に内心で感謝した。 確かにこれからデートに誘われるとして、ちゃんとしたドレスは一枚も持ってない。 カジュアルな格好ばかりじゃ、もう間に合わないんだ。
「リクルートスーツで会いに行くことできないもんね」
 冗談でごまかしつつ、藍音の視線は自然に、軽やかな初夏用のワンピースやチュニック、アシンメトリなロングスカートの上をさまよった。
 これまでおしゃれに気を遣ったことはほとんどなかったが、不意に自分の姿が気になりだした。
 スタイルは人並みだと思う。 それに顔も。 だが、服のセンスがいいかどうか。 彼にどう言ってもらえるか。
 やっぱり誉めてほしかった。 できるだけ綺麗に見せたい。 心からそう願った。



 結局、二人ははしゃいで試着して、それぞれ二揃いずつ服を手に入れた。 母は旅行用のバッグとサングラスも買った。
「向こうじゃ日差しが強いでしょうからね」
「ついでにカメラも買ったら? 初めての海外なんだから、ビデオカメラのほうがいいかもね」
「そうね……特売のカメラでいいよ。 もう三ヶ月分ぐらい余計なお金使った感じ」
 母はそろそろ、予算オーバーを心配しはじめていた。










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