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 その19 休みの相談



 バイトを終えた正午過ぎ、藍音がC市にある経済学科と法科の校舎へ向かって、駅から歩いていると、バッグに入れた携帯がメロディーを奏でた。
 藍音の胸が、ほかっと熱くなった。 それは朝食の後、加藤専用にセットした曲だった。
 うぅー、初めて!
 会って話すときよりずっとどきどきしながら、藍音は急いで電話に出た。 つながったとたんに、きびきびした声が聞こえた。
「ああ、藍音くん?」


 藍音……くん?
 思わず藍音は吹き出してしまった。
 向こうはきょとんとした。
「え? なに笑ってるの?」
「だって、コミックに出てくる社長さんみたい。 藍音くんって、部下か秘書ですかーっていう感じ」
「そうか」
 相手は決まり悪そうに声を落とした。
「いや〜、呼び捨ては失礼だし、さん付けだと他人っぽいし、つい学校時代のノリで」
 なんて真面目な。 にやつきながら訊いてしまった。
「学校時代の彼女のノリ?」
「あんときは……」
 声がいっそうぼやけた。
「呼び捨てだった」
「じゃ、そうしよ」
「おっ」
 彼は息を呑んだ。
「いいの?」
「あなたならね」
「やった!」
 低く呟いている。 電話の向こうで小さくガッツポーズをしているのが見えるようだった。
 お返しのつもりか、すぐに提案があった。
「おれのことも名前で」
 喜んで応じようとして、まだ聞いていないのに気づいた。
「加藤、何さん?」
「あ、そうか。 言ってなかったな。 あきらって名前」
「あきら」
「そう」
「明るいっていう字?」
「いや、水晶の晶って書く」
 きれいな字だ、と、藍音は思った。


 加藤がかけてきた訳は、間近に迫ったゴールデンウィークについてだった。
「出張のあと、休み取ったろう? そしたら連休に出てこいって言うんだよ。 ひどすぎる」
 その大部分を、割のいいバイトに当てるつもりだった藍音は、密かにホッとした。 彼も仕事だと思えば、会えないつまらなさを我慢できる。
「その代休、後で取れるんでしょう?」
「まあ、いくらかは。 でも気分が乗らない」
 そう言って、彼は短い溜息をついた。








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