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 その18 意外な言葉



 藍音はきょとんとした。
 まさか母に礼を言われるなんて、考えてもみなかった。
「なんで、ありがとうって?」
「大事なことを、ちゃんと話してくれるから」
 そう答えた後、母の寿美〔すみ〕はまっすぐに娘と視線を合わせた。
「両親そろってても子育ては大変なのに、藍音には母親の私だけで、おまけにその私も仕事ばっかりしてるでしょう? それでも藍音は私のこと信じて、いろんなことを打ち明けてくれる」
「たまには大喧嘩するじゃない?」
 あまりにも真面目な母の態度に、藍音はきまりが悪くなって、冗談交じりに言った。
 だが母の真剣な様子は変わらなかった。
「そりゃ喧嘩はするわよ。 して当たり前じゃない? 我慢溜めてると、それこそ悪に走るかも」
「走らない」
「大人でもイライラが昂じて万引きする人いるし」
「万引きも泥棒もしないって」
 とうとう藍音は笑い出した。
「どうしたの、お母さん? 付き合うっていったって、まだ彼氏未満よ。 手握っただけなんだから、これからどうなるかまだわからない段階」
 心なしか、母の肩から力が抜けたように見えた。
「まだそんなところ?」
「そんなもん」
「キスもしてないの?」
 藍音はこそばゆくなって、まだ手をつけていなかったサラダに箸を伸ばした。
「そういうこと訊くかな〜。 なんか……恥ずかしいよ」
「まあ、性教育の必要はないと思うけどね」
「ちょっと!」
 耳が熱くなってきた。 母子はお互いに照れ屋で、立ち入ったことはこれまで話題にしてこなかった。
「知ってるから大丈夫。 簡単な付き合い方はしないから、安心して」
「わかってる。 ただね」
 母の額に、いつも心配するときに浮かぶ薄い皺が寄った。
「人を好きになると、信じられないことができちゃうものだからね」


 正午まで、賑やかなスーパーのレジで働きながら、客がふと途切れた合間に、藍音は何度か朝の会話を思い出した。
 母は交際を認めてくれた。 深く付き合っていても構わないと思っていたようだった。
 それでいて、何かの不安が伝わってきた。 いつもさっぱりしていて率直な母なのに、今朝にかぎっては奥歯に物が挟まっているようなしゃべり方をしていた。
 なぜだろう?
 その小さなもやもやが、加藤に交際を申し込まれたという飛び上がりたくなるほどの嬉しさに、わずかな影を落としていた。








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