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 その17 すんなりと



 雨は先ほどより勢いを増し、朝なのに辺りは日暮れ時のように暗くなっていた。
「うん、この雨ん中を走ってきたんだ」
 そこで少し間を持たせて、藍音は言った。
「私のために」
 相槌はなかった。 藍音が顔を上げると、母は眉を上げ、口元を歪めて笑いをこらえていた。
「へぇ〜〜」
「わかった?」
「そりゃ、誰だってわかるでしょう。 そういう言い方されたら」
 うきうきと、藍音は後を続けた。
「付き合ってほしいって。 自分でも言ってたけど、中学生みたいに純情っぽかった」
「いくつなの?」
「二十九……か八? 三十ちょっと前って言ってた」
「少し年が離れてるね」
「うん。 でもその分、長く公務員してて、出張なんかも行ってるから、しっかりしてる」
 ほう、というように、母の口が丸くなった。
「公務員なんだ〜」
「そう」
 椅子をまたぐようにして座ると、藍音は真剣に母の顔を見上げた。
「付き合って、いいかな?」


 母は、包丁を洗って片付け、トマトをサラダに加えた。
 それから顔を娘に向けて、真面目な口調で尋ねた。
「藍音はどう思うの?」
 藍音は懸命に母を見上げた。 椅子の背に載せた両手が、無意識に組み合わさっていた。
「付き合いたい。 ずっと早朝ジョギングして鍛えてる真面目な人だし、清潔感あるし、話し方が合うの」
「ドレッシング作って」
「はい」
 立ち上がって、いそいそとオリーブオイルや胡椒を棚から出していると、背後から母の声が聞こえた。
「相手は大人よ。 学校の人みたいに気楽な乗りでは付き合えないよ」
「わかってる」
 今までも考えたのだ。 毎晩寝る前にいろいろと。
 これからは更に考えることが増える。 なし崩しではなく、きちんと付き合いを申し込んできたということは、将来を考えに入れているのだろう。
 交際がうまく行けば、一緒になりたいと。
 藍音は顔が熱くなるのを感じながら、小さなボウルで材料をかき混ぜた。
「いい人だと思うんだ。 もうちょっと親しくなったら、うちへ来てもらう。 お母さんに早めに紹介するから」
 母はうなずき、炊き立ての御飯を二人分よそって、御飯茶碗を藍音の前に置いた。
 それから、目を伏せたまま言った。
「ありがと」








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