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表紙

 その13 将来の期待



 バス停で二人は揃って降りた。
 藍音はアパートまで、加藤に送ってもらった。
「ここに住んでるの」
 小さな門の前で、加藤は表札を見上げた。
「河北コーポラス?」
「そう」
 二階建ての箱のような建物をじっくり眺めた後、彼は言葉を継いだ。
「前に住んでたところに似てる」
 つられて、藍音も見慣れた外観に目を向けた。
「こういうアパートはみんな似てるから」
「おれんところは、緑に塗られてたよ」
 そう言って、彼は身震いしてみせた。
「巨大アマガエルみたいだった」
「初めて行っても、絶対まちがえないね」
「昼間ならな」
 そこで加藤は、懐かしげになった。
「裏庭が草ぼうぼうで、夏はやぶ蚊が凄かった」
「庭は貸してなかったの?」
「いや、共同管理なんだけど、誰も草取りなんかやんないから」
 学生寮か何かだろうか、と、藍音は考えた。


 今日はありがとう、と藍音が言うと、加藤は真面目な表情になって、ぽつりと尋ねた。
「次があるよな?」
 これはまた、自信のないことを。
 藍音の気持ちは、いっそう彼に傾いた。
「今度は私がおごる番じゃない?」
「うん、まあ」
 そう言って、加藤はふっ切れたように、大きな手を差し出した。
「約束の握手」
 わぁ……
 藍音はそっと彼の手を握った。 すると、グッと握り返された。 温かくて厚みのある掌だった。


 明日も走るよ、まだ休みだから、と言い残し、加藤は活気のある足取りで去っていった。 その後姿を少しの間、藍音は見送った。
 次があるって、なんか、いい響きだった。




 鍵を開けて玄関に入ると、空気が篭もって蒸し暑く感じられた。
 すぐ居間のガラス戸を開け放って、午後の陽が当たる庭に向かって深呼吸した。 そよ風に、眼下の梅の葉が揺れている。 六坪ほどの庭は、雑草だらけなんてことはなくて、区画ごとにきちんと手入れされていた。
 明日の授業の下調べをしなければならないとわかっていながら、藍音はそのまましばらく庭を眺め続けていた。
 それから、加藤と握手した手を持ち上げて、そっと唇を押しあてた。







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