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表紙

 その8 伝わる熱意


 藍音はトビーとまっすぐ歩を進めた。
 道を横切るとき、首を曲げて彼の後姿を少しだけ見送った。 着ているのは、よくあるグレイのスーツだが、姿勢がいいので身のこなしがきれいに見える。 走っていない彼を見るのは新鮮だった。


 その後、ふと思いついて、トビーを大通りの向こうにある児童公園に連れて行った。 そこまで遠出することはめったにないため、犬は喜んでいろんな遊具を嗅いで回った。
 その間、藍音は青く塗られたベンチに座り、脚を長く伸ばして組んで、温かい想いにふけった。
 出張か〜……
 考えてもみなかった。 出張があって給料のいい職場──忙しくて活気のある会社なのだろう。
 将来性ありだな〜。
 また先のことを考えてしまって、藍音は頬を赤らめた。 でも今度は、そう狼狽しなかった。
 それは、彼の反応のせいだった。 藍音が散歩に出る時間は、判で押したように決まっている。 彼は長い出張から帰ってきて、その時間に間に合わせようと急いだのだ。 たぶん少しは走ってきたのだろう。 息遣いがわずかに乱れていた。
 会いたかったんだ、私に。
 そう思うと、胸がどきどきした。 そうとしか思えなかった。 わざわざ並んで、帰り道と違う方向に歩くなんて。
 ごめんね、疲れてるのに遠回りさせて。
 心の中で呟きながら、藍音は知らぬ間に微笑んでいた。


 悩んでいた六日間の後だけに、再会の喜びはひとしおだった。 藍音は時間ぎりぎりまでトビーと遊び、スキップしたい気分で通りを渡って、浮き立つ気持ちでアパートに戻った。
 その日の授業は頭からある。 ゆっくりしてはいられなかった。 朝食を忙しく食べて素早く着替え、参考書をバッグに落とし込んで部屋を出た。 母は早番で、もう会社に出ていた。




 そして翌朝。
 願いが天に通じたのか、その日は晴れだった。 ただし風が猛烈に強く、藍音は髪が吹き散らされないよう、後ろで一つに結んで家を出た。
 いつもより早い時間に、背後から足音が聞こえた。 藍音が振り返ると、彼が右手を上げた。 顔が親しみのある笑いでほころびていた。
「おはようございます」
 藍音が挨拶を言い切らないうちに、彼は横まで来て、走りを歩きに替えた。







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