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 その7 不意の再会


 びっくりして、藍音は顔を回した。
 いつも現われる道と違う。 彼は大通りに通じる一本道から、不意に挨拶してきた。
 そっちは東側だった。 昇る朝日の光に取り巻かれて、彼の顔立ちははっきりせず、全体が淡いシルエットのように見えた。
 それでも藍音は、彼が見慣れない服装をしているのにすぐ気づいた。 彼はスーツ姿だった。
 まだ藍音の驚きが醒めないうちに、彼は早足で近づいてきて、小さく溜息をついた。
「久しぶりって感じだね。 出張に出てたんだ。 やっと帰れた〜!」
 最後の言葉は、実に嬉しそうに弾んでいた。


 藍音の心も、サッと雲が晴れた。 無意識に笑顔が出て、挨拶の声も半オクターブ高くなった。
「お疲れさまです」
「ありがとう」
 真顔で返してから、彼もニコッと笑った。
「風呂にゆっくりつかって、ドカッと眠りたい。 やっぱ一週間となると、さすがに疲れる」
 そう言いながら、彼は藍音と並んで歩き出していた。 こっちが家の方角とは思えなかったが。
「私も来年就職。 そんな風に疲れるんだろうな〜。 て言っても、最初はお茶くみだろうけど」
「おれもそうだった」
「ほんとに?」
「ほんと。 お茶もけっこう大変だよ。 湯呑み覚えて、好み覚えて、タイミングもあるし」
「わー、脅かさないで」
「こんなくらいでおびえてるのか?」
 彼はそう言うと、目じりに皺を寄せて笑った。
 嬉しくて気持ちにゆとりのできた藍音は、わざと最敬礼して言った。
「参考になります、先輩」
「あれ、おじさんみたいに言うなよ〜。 まだおれ二十代だよ。 ぎりぎりだけど」
 二十代、か。 じゃ、最近の傾向としては、まだ独身だろう。 藍音はますます喜んだ。
「出張の多い職場なんですか?」
 彼は考え深げに頷いた。
「そうだな。 わりと」
「大変そう」
「でも、給料もわりといいからな」
「なるほど」
 気のせいか、彼がちょっと自分を売り込んでいるような気配がした。


 この通りには、四つ角が三つ並んでいる。
 前に大型トラックが無理やり回ってきた角まで来て、彼は立ち止まった。
「じゃ、散歩気をつけて」
「はい」
「明日の朝、ちゃんと起きたら走るよ。 六日走らないと、体がなまった感じだ。
 じゃ、また明日」
「ゆっくり休んでくださいね」
「わかった、ありがと」
 彼は、すっきりした足取りで角を曲がった。 そのとき初めて藍音の目に、小さなボストンバッグを下げているのが見えた。








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