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表紙

火の雫  98
 祭の後のような物悲しさをまとって、絵津は木更津へ戻った。
 故郷の夏は、それほど素晴らしかった。 親友の木実と暖かい家庭、そして真路。
 私も奈々歌さんのような幸せを掴みたい。 真路そっくりの赤ちゃんを抱いてみたいし。
 そこまで考えて、帰りの車の中で絵津は勝手に赤くなった。


 マンションの前の道に横付けしても、二人はすぐには別れられなかった。
「電話するね」
「俺からかけるよ」
「じゃ、メールする」
「それより、直接会いたい。 電車乗って、明日にでも来ようかな」
「明日〜?」
「どっかに泊まって、毎日会いに来るのは?」
「嬉しいけど、真路も予定あるでしょ?」
「キャンセル。 もろキャンセル」
「悪いよー、真路の友達に」
 眉間に縦皺を寄せて、真路は少し考えた。
「そういえば、あさって飲み会ある。 金曜にこっち来るよ。 それならいい?」
 絵津は満足しきった猫のような笑顔を見せた。
「いいに決まってるじゃん。 ああ、街で誰か知り合いに逢わないかな。 見せびらかしたいな、二人で歩いてるとこ」
「なんだそれ」
 真路は目をきらめかせて笑い返した。


 絵津がマンションの奥に入っていくのを身届けてから、真路は車の向きを変えて帰っていった。
 エレベーターに乗ろうとして、絵津は傍の壁に寄りかかっている大崎にようやく気付いた。
 途端に喉が詰まって、頬が強ばった。 絵津に向けられた大崎の瞳は、古代の鏡のように鈍く光っていた。
「友達のところへ泊まるって、女の友達じゃなかった?」
絵津はまともに大崎を見返せなくなって、横に視線を泳がせた。
「偶然真路に逢ったの。 買い物に行って、それで……」
「よりが戻った」
 最後を大崎が付け加えた。 声に冷たい怒りが見え隠れした。
「簡単に復活しちゃうんだな」
「簡単じゃない」
 思い切って、絵津は言い返した。
「ずっと想ってくれてたって、わかったから」
「ずっと?」
「そう、中学の時から。 私の好きだったバンドとか、よく行くショップとか、みんな知ってた」
「前はそう言わなかったのか?」
「言えなかったらしい。 片想いだと思ってたんだって」
 大崎は絶句した。


 しびれるような沈黙が数秒続いて、ようやく大崎は壁から体を起こし、元気を失った声で言った。
「不公平だな。 ハンデ付きじゃ」
「ハンデって……」
「だって向こうは、小さい時から知ってるんだろ。 僕にはそんなチャンスなかったわけだし」
「まあ、そうだけど……ごめんなさい」
 絵津が反射的に頭を下げるのを、大崎は寂しそうに見守った。
「僕だってほんとに好きだったんだよ。 裾の長いウェディングドレス着たらどんなに綺麗かな、とかよく考えたんだから」
 絵津は言葉を思いつかなくて、もう一度頭を下げた。 下を見ながら、ふと考えた。
――この人が好きなのは、私の中身より、イメージなんだ、きっと――
 美化されていることに、これまでもなんとなく絵津は気付いていたが、その気持ちが確信に変わった。
 大崎は、絵津が静に見せている控えめなおとなしい姿しか、目にしていなかったのだから。









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