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表紙

火の雫  97
 通いのハウスキーパー海藤さんは、夕食の支度をすませ、もう帰ってしまっていた。
 絵津は、真路と一緒にバスを使っている間に、汗になったシャツと下着を洗って乾かし、さっぱりとシャンプーの香りに包まれて、夜になった戸外に歩み出た。
 真路と肩を寄せ合って故里の街を歩くのは、これが初めてだ。 見慣れた街灯の輝きや浜風の匂い、踏みしめる道の感触まで新鮮で、生き返ったような気持ちだった。
 だいぶ気温が下がって涼しくなった表通りに、二人は申し合わせたようにゆっくりと歩を進めた。 木実の家が近付いてくると、歩みはいっそう遅くなった。
 どちらも、別れたくなかった。 魔法にかけられたようなこの夜を、終わらせたくない気持ちで一杯だった。


 それでも、目的地は刻々と近付いてくる。 とうとう白い家の玄関前に来てしまった。
 ガラスのドアのすぐ横にそびえている大王松の陰で、二人は固く抱き合った。 真路のしなやかな筋肉のついた腕が、絵津の背中を護るように覆った。
「来週の花火大会、行く?」
「うん」
「他にどっか行きたいとこある?」
 絵津は真路の胸に顎をつけて、うっとりと見上げた。
「真路のサーフィン見に行きたい」
 彼の口元がほころんで、健康な歯が光った。
「一緒にやるか。 泳ぎうまいから、すぐ上手になるよ」
「泳げるの知ってるの?」
「ああ。 よく見てた」
 知らなかった。
 真路については、知らないことばかりだ。 これから順繰りに教えてもらおう。 絵津は、ギュッと彼の肩に顔を押しあててから、しぶしぶ体を離した。




 こうして、本当の夏が始まった。
 残り六日間の滞在を、絵津はフルに楽しんだ。 真路と出かけるだけでなく、木実と喉が枯れるほどしゃべったり、奈々歌を手伝って家庭菜園に水を撒いたり、奈々歌の夫の耕三にバイクの乗り方を教わったりした。
 たった一週間たらずで、これほどみっちり遊んだなんて信じられないほどだった。


 絵津お泊りの最終日、木実一家がバーベキューパーティーを開いてくれた。
 真路と佐山もやってきた。 缶ビールが景気よく開けられ、未成年の絵津と木実もちょっぴり味わった。
 佐山は、見栄えのする真路になぜかライバル心を持ったらしく、さかんにバーベキュー台を仕切ろうとした。 それをいいことに、真路は絵津だけにせっせと肉を取ってやって、ついでに自分も食べていた。
「野菜も食べてよー、私が切ったんだから」
 木実が陽気に文句を言った。 真路は素直に、ミニとうもろこしを皿に入れた。
「肉、肉、野菜と」
「肉、野菜、野菜」
「ちがう、肉、野菜、肉、野菜なの」
「と言うほど、肉残ってないよ」
「待ってて。 出してくるわ」
 奈々歌が慌てて冷蔵庫に走った。









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