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絵津の手が、一秒ほど空中で浮いたままになった。
引き取る? 私を……?
将美の声に、固い筋のようなものが混じった。
「貝原が死んで間もなしだった。 これからどうやって暮らしていこうかって悩んでいたときに、お金出すからあんたを養女にって言われて、ついカッとなっちゃった」
気が咎めているのか、将美は上目遣いになった。
「悪かったかな? 金持ちの娘になれるところだったのに」
そのとたん、絵津の胸が融けた。
いきなり手を差し出すと、絵津は母の手首をギュッと握った。 そして、声を詰まらせて言った。
「いいよ、お母さんはお金で買えないもの」
将美は一瞬、息を呑んだ。
それから、あわてて下を向いてサラダをフォークですくい取ろうとしたが、失敗してこぼした。
やがて、皿の縁にぽつんと水滴が落ちた。
赤くなった鼻の先に涙の粒を残したまま、将美は囁きに近い声を出した。
「あんたに悪いことしたと思ってたのよ、ずっと。 よけいな苦労させたし、再婚相手は血迷ってあんなことするし」
「そんなの、もういいよ」
絵津は母の腕を揺すった。 胸にわだかまっていたものがスッと消えて、驚くほど安らかな気持ちになっていた。
――お母さんは私を邪魔になんかしてなかった。 お母さんなりに、精一杯大事にしてくれてたんだ――
絵津を引き取りたいと加賀谷医師が申し出てきたとき、将美は相当逆上したらしい。 二度とうちの敷居をまたぐな、絵津にちょっとでも近付いたら誘拐罪で訴えてやる、とまで言われて、加賀谷雄策は娘との交流を諦めた。
「あのときは、頼りにしていた貝原に死なれて、気持ちがめちゃめちゃだったからね。 もっと後だったら、違う態度が取れたかもしれないけど」
「しかたないよ。 それに、私もお母さんだけが頼りだったし」
「そう?」
「うん」
「じゃ、もうちょっとしっかりしなきゃ」
将美は涙目で、僅かに微笑んでみせた。
いいと言うのに、将美は絵津を静のマンションまで遠回りして送っていった。
まだ静は睡眠中だから、上がりはしなかった。 エントランスで別れるとき、将美は娘の髪をそっと撫で下ろして、ぽつりと言った。
「いつまでも子供だと思ってたけど、もう違うんだね。 なんだか寂しい気がする」
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