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表紙

火の雫  75
 絵津が静のマンションに戻ったのを知って、将美が電話をかけてきた。
 絵津にではなく、静の携帯に。
 店に行く前の空き時間、自分の寝室で将美としばらく話した後、静はリビングに出てきて、絵津に告げた。
「絵津ちゃん、今まで通りよ。 お母さんたち、家賃払うって。 いいって言ったんだけどね、甘えちゃ悪いからってさ。
 それと、今度の日曜、お母さんに会いに行ってあげない?」


 あげない? と言われて、絵津はとまどった。
「日曜?」
「そう、ええと、十三日だよね。 駅前のTビルで会わないかって」
「ここに来ればいいのに」
 思わず絵津が呟くと、静はニヤッと笑った。
「気が咎めてるんじゃないの? ドア開けてくれなかったらどうしよう、なんて心配してるのと違う? 絵津ちゃんが逃げ出す前の脅しは、ちょっとひどかったから」
「もうわかってます、なんであんなこと言ったか」
「え?」
「なぜ真路と付き合っちゃいけないって言ったか、聞きました」
 絵津は、胸のつっかえを晴らすように、平らな声で打ち明けた。
「お母さんは、むかし真路のお父さんとケンカして別れたみたいなんです。 だから、息子も嫌いみたいで」
 これでは真実の半分だが、絵津は出生の秘密まで話すつもりはなかった。
 静は、眼をくるんとさせて頷いた。
「ああ、そういうことあるかもね。 ロミオとジュリエットみたいじゃない?」
「そんな……」
「でも真路って子は、ロミオじゃなかったんだ」
 絵津の胸が、冷たくしびれた。
「ちがいますよ。 確かに彼はモテ系だけど、私に本気とか、そういうのじゃなかったから」
 静の表情が、わずかに変化した。 瞳が、いぶかしげに見つめてきた。
「絵津ちゃんは、その子に本気だったの?」


 一房落ちてきた額の髪を掻きあげながら、絵津は自分に問いかけた。
 どういう気持ちだったんだろう。 あこがれか、それとも大人になるまで繋がる深い愛情だったのか。
「わからないです」
 少し考えて、絵津は正直に答えた。






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