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突然絵津は、昔見た夢を思い出した。
どこか、水中で溺れかけた夢だ。 深い水から絵津を引き上げるとき、真路が怖い顔をして、こう言った。
『好きだなんて言ってないぞ。 ただ俺のもんだから、しょうがないから助けるだけだぞ』
その声は、本当に聞いたかのように記憶に焼きついて、しつっこく離れずにいた。
――俺のもん、じゃないよね。 お父さんのもんだと思ったんでしょう? だから、義理の親子でも可愛がって育ててくれたお父さんのために、自分ちへ連れてこようと決めたんだ――
子供の考えそうなことだった。 純粋な、子供なりの正義感で。
もう灯りがついたのに、絵津の心は、薄闇だったさっきより更に暗く沈んでいった。
口を開くと、舌が渇いていてピリピリした。
「貝原昭洋の子だよ、私」
二人の目が合った。 視線を真路の瞳に据えたまま、絵津は声を強くした。
「お父さん大事にしてくれたもの。 赤ちゃん時代の写真がいっぱいあるし、肩車してもらった記憶もある。
真路がそんな変なこと考えてたんなら……私、出て行く」
「絵津!」
「なによ」
絵津は、部屋へ戻りかけていた足を止め、勢いよく首を回した。 大きな眼が燃え上がった。
「余計なことしないでよ。 真路が言ってること、万一本当だったとしても、真路のお父さんは、一度も私に会いに来たことない。 十七年ほったらかしだった。 興味ないからよ」
「ちがう」
「違わない。 だいだい真路は、子供のときから、うちが貧乏だから可哀想がってただけじゃない。 それで今は、うちのお母さんのこと軽蔑して、私を救ってやんなきゃって思ってる」
「何言ってんだよ!」
「わかってたよ、それぐらい。 いつも上から目線で、何でも自分で決めて、従えって感じだった」
言うだけ言って、どっと疲れた。
ひどい言葉を投げつけたのはわかっていた。 でも怒らせないと、自分だけでなく真路をも縛り付けている因縁の鎖が断ち切れないと思った。
真路は、絵津に遠慮する必要なんかないのだ。 豊かな暮らしを楽しんで、そして本当に好きになった人と付き合えばいいんだ。
「もう構わなくていいよ。 加賀谷家の跡継ぎは真路ひとりだから。 歯科医院を継げるのは真路だから。 もうこれっきりにしよう」
自分でも驚くほどきっぱりと言い切って、絵津は和室に入り、バッグに僅かな荷物をぎゅうぎゅうと詰め込んだ。
五分ほどして、チャイムが鳴った。
絵津はバッグを両手に下げ、リビングを斜めに横切って、玄関に急いだ。
真路は、バルコニーに通じるガラス戸のすぐ前に立っていた。 背中を向けて動かない彼の後ろを、絵津は早足で通り過ぎた。
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