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表紙

火の雫  62
 いつも通り、静は四時前に目を覚まし、仕事前のセットに出かけた。
 絵津も、起きてきた静といつものように挨拶を交わし、手を振って送り出した。 母との揉め事は口にしなかった。 話したければ、将美が連絡してくるはずだ。


 それから六時までが、妙に長かった。 絵津は、もう一度部屋を点検して、忘れ物がないか確認した。 それでもまだ時間が余ったので、携帯でナンクロをやったが、全然集中できなかった。


 やっとチャイムが鳴ったときには、もう夜中かと思うほど待ちくたびれていた。
 部屋に入ってきた真路は、多くを語らずに、すぐ荷物を持ち上げた。
「二つだけ?」
「そう。 こっちのショルダーと」
 肩にかけたバッグを示すと、真路は目をパチパチさせた。
「後は、置いてくのか?」
「母さんが引き取るでしょ。 どうせあの人のお金で買ったものなんだから」
 投げやりな口調に、真路は動きを止めた。 何か言いたそうに口が開いたが、結局止めて、部屋をぐるっと見渡した。
「戸締まりは?」
「した」
「後は玄関閉めるだけだな。 鍵は、持ってく?」
「いやー、もう来ないと思う」
「じゃ、管理人に渡しときな。 俺、先に荷物運ぶから」




 絵津が助手席に収まると、真路はすぐ発車させた。
 灯りが幻想的な夜のアクアラインを通り、羽田空港を右に見て川崎区へ入った。
 それからは、南武線に沿うように、しばらく走った。 車内には、FMの音楽が小さく流れていた。
「なんか言いなよ」
 しばらく会話が途切れた後、真路が不意に要求した。
「え?」
「黙って運転してると、眠くなる」
「ああ……」
 絵津は急いで考えた。 そういえば、あまり共通な話題はないかもしれない。
「さっき言いかけてたでしょう? 海に行く話とか」
「あれ、やめた」
 あっさりと、真路は答えた。
「八王子へ戻っちゃったら、海は遠いから」










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