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表紙

火の雫  48
 広くて、まるでテラスルームのように明るい光に満ちた洗面所から、絵津はそっと廊下に踏み出した。
 二つ向こうのドアが半開きになっていた。 そこから真路の頭が覗き、絵津と目が合うと笑顔になった。
「おいで」
 広い家はシーンとしている。 外は真夏の熱に包まれているが、家の中はひんやりして静かだ。
 まるで、魔法にかかった空間のようだった。


 大きなリビングは、カーテンが白のレースに変わっていた。
 それ以外は前と同じ、に見える。 妙に安心した。
 ゆったりしたソファーに、二人は並んで座った。 というか、絵津をまず坐らせてから、真路がコップを二つ持って、すぐ横に腰を下ろした。
「はい、スカッシュ」
「どうも」
 水滴のついたコップを受け取った次の瞬間、絵津は小さくキャッと叫んで肩をすくめた。 冷えた指が、首筋にスッと回ったのだ。
 真路は澄ました顔で言った。
「ヒエーッて言いなよ」
 絵津は、体の力を抜いて苦笑した。 真路のやり口には、だいぶ慣れた。
「小さいころ、いじめっ子だった?」
 あきれた顔で見返して、真路はブンブンと首を振った。
「まさか。 やさしーいお坊ちゃまくんだったよ」
「えー?」
「ほんとだって。 バレンタインでこんなに」と、手をかざして、十五センチぐらい指を開いてみせた。
「チョコレート貰ったんだから」
 自慢話よりも、その指の長さに、絵津は気を取られた。
 美しい手だった。 しなやかで、浅く血管が浮き出ていて、小麦色に焼けている。 その手でぎゅっと腰を掴まれたときの力強さを、絵津はまざまざと思い浮かべた。
「そのチョコレートどうした?」
 目に表れたにちがいない情熱をごまかそうとして、絵津は尋ねた。 真路はふと、遠くを見る目になった。
「母親がほとんど食べてたな。 チョコレート好きだったから。 でも、俺も食ったよ、ちょっとずつ。 せっかくくれたんだからな」
 言い終わるとすぐ、真路はキスした。
「うん、レモン味だ」










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