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表紙

火の雫  46
 八月の半ばに、登校日があった。
 何の部活にも属していない、帰宅部の絵津には、久しぶりの学校だった。
 皮肉なことに、友達には運動部の子が多い。 それも体育館系ではなく、テニスや陸上部なので、鬼焼けして鼻の皮がむけている有様だった。
 宮内結歌〔みやうち ゆうか〕という短距離走の代表選手が、朝の教室に現れた絵津をポンポンと叩いて言った。
「白い。 さてはあんまり泳いでないな」
「結歌とちがって、焼きすぎたらなかなかさめないから」
「君はタコ焼きか!」
 横から突っ込みを入れたのは、テニス部の新部長になった江田よし美だった。


 朝礼の後、個々の教室で出欠を取り、生活態度の注意や今後の勉強の心得などを聞かされ、解放されたのは十時半だった。
 絵津はそのまま帰るが、結歌とよし美は部活だという。 この炎天下に。 絵津は同情した。
「熱中症にならんでね」
「今さら大丈夫だよ。 もう一ヶ月近く暑い中で鍛えてるんだから。 それよりさ」
 結歌が声を下げて、含み笑いをした。
「ヨッシーが『一夏の経験』したんだって」
 絵津はギクッとした。 以前なら、えーそうなの?、とか何とか、興味津々なところだ。 だが、自分もしたとなると、なぜか舌が固まったようになって、うまく相槌が打てなかった。
 よし美は、ちょっと怒った目つきで結歌をにらんだ。
「口軽い!」
「いいじゃない。 絵津だよ?」
「うん、まあ……」
「相手は、あの彼氏?」
 前からよし美と廊下でよく立ち話している一コ上の男子かと、絵津は思った。
 だが、よし美はぎっぱり首を振った。
「ちがう。 兄キの友達。 大学生」


 うわ……、設定まで同じ。
 絵津は、ますます自分のことを打ち明けにくくなった。


 結局、十五分かけて、よし美の初体験を聞かされるだけで終わった。
 相手は思いやりがあって、優しかったらしい。 もう高校の先輩なんて問題じゃない、という口調のよし美を見ていると、上級生とのささやかな廊下デートはもう切り捨てたな、というのがよくわかった。


 むんむんする道を一人で歩いて帰りながら、絵津は幾度も自分に問いかけた。
 私は長い間、真路にとらわれていた。
 でも、体は結ばれても、心は触れ合ったのか?
 私は真路の、何を知ってるんだろう。









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