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表紙

火の雫  31
 デスクに並べた小鳥の時計に目をやると、十一時を回っていた。
 絵津は、真路の頬に唇を当ててから、彼の肩に手を置いて立ち上がった。
「もうじき静さんが起きてくる」
 すぐに、真路も真顔になって体を起こした。
「会って挨拶したいな」
「それは、もうちょっとここに慣れてから」
 答えながらも、絵津は嬉しくなった。 二人の交際を、真路は真面目に考えている。 そのことがわかって、ほっとした気持ちだった。


 絵津は、マンションのエントランスまで真路を送っていった。
 戸口の脇に置かれた観葉植物の寄せ植え鉢の横で、真路は一度立ち止まった。
「メールするから」
「うん、私も」
「サーフィンしたことある?」
「ない」
「だいたい、泳げるっけ?」
「泳げるよー」
 絵津が笑うと、真路は長い指で彼女の頬をさすって、呟くように言った。
「その笑顔、最高」


 はっとして、絵津は笑みを引っ込めた。 すると、人一倍大きな眼が、謎めいた夜のように見えた。
 真路は照れて、ニッと笑い、指を離した。
「やば。 ナンパやろーみたいな文句」
「車で来たの?」
 微妙な空気をほぐそうとして、絵津は尋ねた。 真路は横に首を振った。
「電車」
「駅まで送る」
「いいよ、絵津疲れてるんだから」
「あ、昨日スキップ連れてきてくれてありがとう」
「一回り大きくなってただろ」
「うん、かわいい、すごく」
 一呼吸置いて、絵津は真路の手を取った。
「今日も、わざわざ来てくれて」
「いいの、来たくて来たんだから」
 途中から真路が言葉を引き受けた。 そして、取られた手をぎゅっと握り返した。
「帰ったら電話する」
「うん」
「じゃな」
 絵津がうなずくと、真路は少し体を前に傾け、髪の分け目にキスしてから、手を離して歩き出した。






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