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表紙

火の雫  30
 こんなふうにキスされるのは、初めてだった。
 どんなふうにでも、真路以外の男の子に本物のキスをさせたことはないのだが。
 初めてだから、どう息をつないでいいかわからず、途中で真路の下唇を吸いこみそうになった。
 彼は、いったん口を離し、さくら色になった絵津に頬ずりした。
「鼻で呼吸してな。 普通に」
「こんなの普通じゃないもの」
 絵津が言うと、真路は微笑した。
「海で素潜りしてるみたいな顔になってる」
「素潜りのほうが楽だ」
 真路は本格的に笑い出した。 そして、腕の中で抱き直すと、眼の中を覗きこんだ。
「嫌か?」
「嫌じゃないよ。 ただ」
「ただ、何?」
「慣れてないだけ」
「すばらしい」
 真路は真顔に戻った。 眼の輝きが一段と強く変わり、絵津はまともに見つめられなくなった。
「俺だけなんだ」
 体がむずむずするような感覚に襲われて、絵津は真路の膝から降り、立ち上がろうとした。 でも、あっさり引き戻された。
 彼の腕は、そう太くないが筋金入りだった。
「なあ」
「なに?」
「なんで急に下宿したの?」


 訊かれると思った。 同じ市内に自宅があるのだから、誰だって不審に思う。
 知らない間に、絵津はうつむき加減になった。
「義理のお父さんが……」
 言葉が途切れたが、それだけで真路には理解できたようだった。
 体に回った腕に、瞬間強い力が加わった。
 次いで感触が柔らかくなり、いっそう深く胸に抱き寄せられた。
「俺は襲ったりしないよ」
「そうなの?」
 やはり、彼はばっちり理解していた。
「しないのが普通だ」
「うん」
「でも、絵津がいいなら」
 また唇が合った。 絵津は真路の胸に両手を置いていた。 抱きつくほどの親近感はない。 だが、さっきよりずっとキスは上手くなった。


 ゆっくり唇が離れたとき、絵津は低く答えた。
「まだ駄目」






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