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表紙

火の雫  24
 翌朝九時に、今度は母から電話がかかってきた。
「静〔しずか〕に連絡取った。 あんたを下宿させてくれるって。 すぐにでも」
「よかった」
 母のそっけなさに負けないほど淡々と、絵津は答えた。
 低く咳払いした後、将美はやや早口になって続けた。
「でね、予定繰り上げて、今日帰ることにした。 松山は、スケジュール通り友達と釣りに行くって。 だから、先に戻って引越し済ませとこう」
「そうね」
 絵津は、それだけ口にした。
 ここ数年、特に高校に入学してからの二年間は、毎日が薄氷を踏む思いだった。 思い余って母に打ち明けようとしたこともあったが、いつもすっと話を逸らされた。
 実際は、母も悩んでいたのかもしれない。 だから、ことが起きてしまった後の処理が、異常なほど早かったのかも。


 母とは、十一時二十分に内房線の駅で待ち合わせることにした。 木実の家まで、将美は娘を迎えに来る勇気がないようだった。
 絵津が泊まるとき、木実のベッドの下から予備のベッドを引き出して使う。 絵津が、使ったサマーケットとシーツを外していると、木実がよく冷えた乳酸飲料を2つグラスに入れて、運んできた。
 二人は小さなバルコニーの手すりに腰かけて、片足をぶらぶらさせながら飲んだ。
 朝から雲一つない快晴だ。 雫のついたグラスを口に当てたまま、木実は右腕を伸ばして頭上のシェードをぐっと伸ばし、心地いい日陰を作った。
「下宿させてくれるっていう、その細川静〔ほそかわ しずか〕っておばさんに会ったことある?」
「ない」
「来年の夏休み、また来れる?」
 心配そうに訊かれて、絵津はさっと頭を巡らせ、一段と青い海を見下ろした。
「バイトしてお金貯めて来る」
「ずっとうちに泊まってよ。 絵津一人なら、いくらいてもいいよ」
 それから、口をすぼめるようにして言い添えた。
「ここには、加賀谷くんもいるし」


 絵津は、しびれたように海を見つめたままでいた。 真路に電話をしなくちゃ、と強く思った。 今度こそ、黙って去ることは許されない気がした。










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