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表紙

火の雫  13
 人生こんなもんだ。
 いい話は続かない。 そう思って暮らしてきたから、絵津は慌しく木更津〔きさらづ〕に引っ越すことになっても、それほど落ち込まなかった。
 故郷を離れるのは、当然寂しい。 もう木実一家に会えなくなるのも。 ただ、松山のおじさんが長い間うまくいっていなかった正妻とようやく離婚して、母の将美と絵津を正式な戸籍に入れてくれるのは嬉しかった。 これで絵津は、木更津の中学に編入した後、貝原ではなく松山絵津として通うことになる。 新しい苗字に慣れるのに、少し時間がかかりそうだった。
 ただ…… 初恋は諦めなければならなかった。 引っ越して、遠くに離れると決まって初めて、絵津は真路の魅力を強く意識した。
 無愛想にしていたけれど、本当は大好きだった。 このまま傍にいたら、ひょっとしてひょっとなったかもしれない。 もちろん、真路が目移りして去って行く可能性は大きいが。
 いいさ、まだ十三だ。 そのうち誰か見つかるさ。 荷造りで忙しく手を動かしながら、絵津は何度も自分にそう言い聞かせた。


 荷物をすべて運び出し、七年住み続けた貸家を隅から隅まで清掃しおわった後、母と子は疲れきって、がらんとなった和室に坐りこみ、壁にもたれた。 絵津は犬のように舌まで出した。 曇り空で、いつもほど気温が上がらなかったとはいえ、八月の初めだ。 二人とも水溜りができるほど汗びっしょりだった。
 やがて、将美が頭だけ動かして絵津を見た。
「がんばったね」
 絵津は、両腕を大きく伸ばして頭をそらした。
「うん」
「木実ちゃん家でシャワー使わせてもらおうか」
「うん」
「ごめんね」

 思いがけない謝罪の言葉だった。 驚いて、絵津は大きく目を見開いた。
「え?」
「知ってたよ」
 将美の声に、重さと湿りが加わった。
「松山のことで、いろいろ言われてたでしょ?」
 絵津は急いで座りなおした。 胸がちくちくして、急いで何か言わなくてはいられない気持ちになった。
「しょうがないよ」
「しょうがない?」
「そ。 好きなら、そうなっちゃうよ」
「えー」
 将美は低く吹き出し、手を伸ばして娘の頭を抱えた。
「ませガキ」
 怒って、頭を掴まえる母の腕を外そうともだえる絵津を、将美はいっそう強く抱きしめた。
「でも、言うとおりだ。 好きだと、どうしてもそうなっちゃうんだ」







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