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表紙

火の雫  12
 横向きで見ると首が痛くなるんだと言って、真路は絵津と同じソファーに席を移した。
 触れ合いそうな位置で二人はアニメを見続けた。 実際に、途中から寄り添い合っていた。 どうしてそうなったのかよくわからない。 真路と膝がくっついていても、絵津はもう不安や気詰まりを感じなかった。


 映画が終わると、外は薄暮になっていた。 もう帰る、と絵津が言うと、真路は家まで送ると言い出した。 絵津は焦り、ぶんぶんと首を振った。
「いいよ、まだ明るいから」
「じゃ、急いでまっすぐ帰れよ」
 わりと簡単に申し出を引っ込めて、真路は元気よく付け加えた。
「また来いよな。 たいていいつでもオッケーだから」
 その提案にはまともに答えずに、絵津は膝を曲げてしゃがみ、スキップのカールした首筋を撫でた。
「じゃねー、スキップ」
「おねえちゃん、また来るって。 顔覚えとくんだぞ」
 勝手に絵津の予定を決めて、真路は微笑んだ。
 焦げ茶色の鼻が、絵津の手の甲を嗅いだ。 濡れた鼻先が触れた。 気持ちよく冷たかった。
 だがそのとき、絵津の視線は小犬にはなかった。 ぼんやりと、真路の光るような笑顔に見入っていた。


 家に帰りつくまで、絵津は無意識に幾度も溜め息をついた。 五度目ぐらいでようやく自覚し、丸まりかけていた背筋を伸ばした。
 家が近付いてくる。 真っ暗な、鍵のかかった家が。 うちは午後だけ『家庭』だけど、残りの時間は違うな、と思ったとき、ある事実に気付いてぎょっとした。
 誰もいないはずの窓が、灯りで黄色く染まっていた。


 玄関も明るく、鍵が開いていた。 とまどいながら戸を開けてためしに呼んでみた。
「ただいま!」
 すると、奥から母がすべるように出てきた。 店用のメイクはしていない。 いつもは少し疲れた素顔が、今夜は光っていた。 まるでさっき見た真路の顔のように。
 玄関で靴を脱いでいる絵津に、パタパタと軽い足取りで近付いてくると、母は弾む声で告げた。
「あのね、お母さん結婚するよ。 もうじき松山のおじさんの奥さんになるんで、あっちの家で暮らそう」






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