表紙目次文頭前頁次頁
表紙

火の雫  9
 あてなく足を動かしているうちに、二人は海岸通りを抜けて、静かな住宅地を歩いていた。
 不意に、真路が気付いて言った。
「もうじきオレん家だ。 寄ってくよな?」
「え?」
 そんなつもりはカケラもなかった。 絵津は立ち止まろうとしたが、その気配をいち早く悟った真路に、グッと手を掴まれた。
「なにビビッてる。 来なよ」
「もう帰らないと」
「うち、犬いる」
「犬?」
 反射的に、絵津の顔が上がった。
 物心ついた頃から、絵津はずっと犬が欲しかった。 だが、貸家の主は家が汚れるのを嫌ったし、母の将美は動物を飼った経験がなく、飼いたいとも思わなかった。
「どんな犬?」
 絵津が興味を引かれたのを見てとって、真路は握った手に力を入れた。
「来ればわかる。 行こ」


 真路の家は、車でそのまま入っていける堂々とした門構えだった。 玄関まで続く通路は舗装され、カーブがついて、家屋が表通りから直に見えないようになっている。 通路の両側は、見事に刈り込んだ玉造りの低木が続き、緑色の巨大なネックレスのように見えた。
 あまりキョロキョロしないように心がけてはいたが、やはり絵津は珍しくて、左右に首を巡らせた。
「広い」
「まあな」
 そんなに自慢そうでなく、真路は淡々と言った。
「お父さん、何してる人?」
「歯医者。 でも親父がここ買ったわけじゃなくて、ひい祖父さんの代からここに住んでるんだ」
 もて系の上に、家まで金持ちか……。 絵津は胃の辺りがじりじりしてきた。こんなお坊ちゃまくんが、片親のボンビーとなぜ付き合いたがる? 好奇心か。 それとも……。
 オン、オンというソフトな犬の吠え声が聞こえてきた。 真路は目を光らせ、まだ握っていた絵津の手を掴み直して、早足になった。
「ほら、吠えてる。 な?」
「うん」
 気を取り直して、絵津はハイになった。 眠気を誘うような可愛い声だ。 犬はいい。 たいてい吸い込まれるような優しい目をしている。 ぬいぐるみより温かいし、ハッハッという陽気な息遣いもいい。 どんな種類の犬か、顔を見るのが楽しみだった。






表紙 目次前頁次頁
背景:ぐらん・ふくや・かふぇ
Copyright © jiris.All Rights Reserved

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送