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表紙

火の雫  4
 絵津はたまげた。
 あんまり驚いたため、体が電気を通されたようにビリビリになって、動けなくなった。
 そんな絵津に、背の高い少年はビシッと駄目押しした。
「いいか、忘れんなよ」
 サッとハンドルを返して道を引き返していく真路の後ろ姿を、絵津はもうろうとした気分で見送った。


 やがて、絵津はふらふら歩き出した。 足がどこへ向かっているか自覚せず、ただやみくもに歩いた。 
 なんで私が?
 きっと耳が変になったんだ。
 いや、もしかすると何も起きなくて、勝手に頭が想像してたのかもしれない。
 絵津は、不意に立ち止まった。 そして、食堂の大きなガラス戸に映った自分の姿を、隅から隅まで眺めた。
 どこがどうってことはない。 小五のありきたりの女の子だ。 目は並みより大きいかもしれないが、顔でいいとこと言ったらそれぐらいだ。
 絵津は横を向いてみた。 スタイルがいいと言われたことはある。 ヒップがキュッと高いから脚が長く見えると……。
 首筋がヒヤッとして、絵津は唐突にガラスの前を離れた。 体つきとか色気とか、そういうことは考えたくなかった。 加賀谷真路は松山のおじさんとは違う。 そう思いたかった。


 ずいぶん遠回りして、家に戻った。 途中、弁当屋で三百八十円のカツ弁を買ったが、鍵を開けて薄暗い家の中に入ると、まったく食欲が湧かなくて、テーブルの上に放り出した。
 畳に座り、立てた膝に両肘を置いて頬杖をついていると、少しずつ悔しくなってきた。
 おまえは俺のもん? 勝手に決めんなよ。 ネコの子拾うのとちがうんだから。
 それにふつう、中学生が小学生にあんなこと言うか? 加賀谷真路って、ロリコンなのか?
 電気をつけないまま、絵津は畳に腹ばいになって目を閉じた。 いくら考えても、どこかしっくりこなかった。 真路の態度にアヤシイものはまったく感じられない。 さっぱりした普通の口調、いつも通りのきびきびした態度だった。
 えいっ。
 仰向けになって、片手を枕にして天井を見上げているうちに、絵津はいつの間にか寝入ってしまった。


 目覚めたときは、二時間ほど経っていた。 体を起こすと、首が痛かった。 左右に回してほぐしながら、絵津は一つだけ、うたた寝の最中に見た夢を思い出した。
 それは、海で溺れかけている絵津を真路が引っ張りあげようとしている夢だった。 彼は厳しい顔をして、やっと水面に顔を出してあえいでいる絵津に言った。
『好きだなんて言ってないぞ。 ただ俺のもんだから、しょうがないから助けるだけだぞ』







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