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その荒天の午後以来、絵津は真路〔しんじ〕が目につくようになった。
特に探すわけではないが、狭い町だからすれ違う機会が多い。 やがて彼の行動パターンや、よく出没する場所を覚えてしまった。
彼のほうは、めったに絵津に目をくれなかった。 当たり前だ。 ありふれた小学生にいちいち関心を持つわけがない。 空から降ってきた黄色い傘のことなんか、あっという間に忘れてしまったに違いなかった。
加賀谷真路がお兄さんだったらな。
灰色に鈍く光る砂を踏みしめて、絵津は波打ち際まで行った。 少し離れたところでは、ポニーテイルにした若い母親が子供二人と砂の城を作って遊んでいた。
足元に、半分欠けた白っぽい巻貝が流れついた。 絵津は両手ですくい上げ、えいやっと沖目がけて力いっぱい投げた。
中学高学年か高校生ぐらいの兄さんがいたら、松山のおじさんを追い出してくれる。 もっと年上なら大きな家を買って、私に部屋をくれるかもしれない。
まだ三十そこそこの母に、そんな大きな息子がいるはずがないのだが、絵津は想像して、気持ちを慰めた。 松山茂夫〔まつやま しげお〕をスーパーマリオみたいに空高く放り投げるハルクを夢見た。
しばらく海岸をうろつき、散歩に来たエアデルテリアと少し遊んだ後、絵津は緩やかな砂浜の斜面を上って、帰り道についた。
ジャケットのポケットに手をつっこんで、裾をぱたぱたさせながら歩いていると、角の本屋で怪しい動きを見つけて、思わず足が止まった。
それは、通学鞄に隠して平積みの本を抜き取ろうとしている男の姿だった。 細いネクタイに紺のブレザー姿。 K市にある私立高校の制服に見えた。
立ち止まってしげしげと見つめている絵津に、店主が気付いた。 その視線をたどって男の子に行き着き、飛び跳ねるように奥から出てきた。
「何やってる?」
パッと本を元の位置に戻すと、男の子は両手を肘のあたりまで上げてみせた。
「なにも。 そいじゃっ」
ひらっと手を振って、さりげない様子で店から出てきた。 そのときは口笛でも吹きそうな顔をしていたが、すぐに表情を変え、まだ道端にいた絵津目がけて、ぐんぐん詰め寄った。
ほとんど口を動かさずに、男の子は唸った。
「てめー、あに見てるんだよ」
面食らって、絵津は後ずさった。 どうやって万引きするのか、好奇心で眺めていただけなのだが。
「てめーに関係ねーだろ。 あにバラしてんだよ!」
言いがかりだ。 絵津はポケットから手を出して、兎のように駆け出す準備をした。 どっちへ逃げよう。 家に近い右か。 通行人の背中が見える斜め前か。
そのとき、一台の自転車が左から勢いよく現れた。 そして、道の真ん中で肩を怒らせている男の子の右横を抜けようとしてバランスを崩し、ちょうど絵津の前でブレーキをかけて、地面に片足をついた。
「おっと」
思わぬ侵入者に戦意喪失したらしい。 万引き未遂犯は、フンといった顔で鞄を持ち直すと、さっさと行ってしまった。
絵津は、立ちふさがる形になった自転車の持ち主を、あっけに取られて見つめた。
それは、普段着に着替えた真路だった。 上が黒のTシャツ、下も黒。 スニーカーだけが明るい空色で、目立って見えた。
「え? なんで?」
無意識に声が洩れた。 真路が単独行動しているところなんか、ほとんど見たことがない。
チャリにまたがったまま、真路は首を回して絵津を見た。 形のいい眼が、挑むように輝いた。
「アホかお前? ボーッと見てんじゃないっての」 それから一つ溜め息をついて、顔を前に向けた。
「気つけろよ。 お前は俺のもんなんだから」
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