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表紙

火の雫  2
 絵津の心を煽〔あお〕っていた小さなときめきも、自転車三台と共に去った。 絵津はまた体の向きを変えてジャージのジャケットを引っ張り、目を軽くこすってから歩き出した。


 加賀谷真路〔かがや しんじ〕が気になり出したのは、二ヵ月ぐらい前のことだった。
 その日は寒くて風が強く、おまけに叩きつけるような豪雨で、学校帰りの子供たちは皆苦労して歩いていた。
 集団下校はペットショップの角まで。 一人になって、蓋をした側溝の上をよろめきながら歩いているうち、絵津はひときわ激しい突風に襲われた。
 あっと思ったときは、もう傘が手から奪い取られていた。 黄色い大きな蝶のように、傘は道を横切って飛び、逆方向から歩いてきた中坊の前に墜落した。

 小学五年ぐらいだと、中学生はけっこう大人に見える。 絵津は黒や紺の傘を差した男の子たち三人を前にして、すくんでしまった。 運の悪いことに、彼らは標準より背が高く、高校生並みに大きかった。
 眼鏡をかけた一人が、行く手をふさいだ傘を、足でサッカーボールのように軽く持ち上げた。
「あーあ、骨折れてんじゃねーの?」
「もう要らねーな、川へ捨てんべーか」
 紺の傘を持った男子が、ふざけて黄色の小さな傘に手を伸ばした。
 その後ろからサッと腕が出て、傘をもぎ取った。 そのままスタスタと車道を渡ると、三番目の男子は柄を前にして、黄色い傘を絵津に突き出した。
「ほら」
 絵津は既にびっしょり濡れていた。 今さら傘を返してもらっても、と思ったが、きらきらした男子の目に射すくめられたように、黙って受け取った。
 男子は、歩く速度を落としていた仲間のところに走って戻っていった。 そして、もう絵津のことなんか忘れたように、賑やかにゲームボーイ・アドバンスについて語りながら遠ざかっていった。


 絵津は、彼を知っていた。 同じ小学校で三年間、上級生だった子だ。 足が速くて目立っていたが、運動部には入っていなかった。 館山市のスイミングクラブに通っていると言われており、確かに夏になると河童のように波とたわむれていた。
 どの学校でも自然にアイドル的存在ができる。 加賀谷真路は、そういった子だった。






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