表紙
春風とバイオリン

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 道程に山地の多い東北新幹線は、福島県の端あたりからトンネルが多くなる。
 まき子と暁斗は、外の景色を見るのをあきらめて、せっせと駅弁を食べていた。 まき子は鮭めし、暁斗は牛肉みそ焼弁当だった。
「この肉、柔らかくてうまいよ。 食べてみる?」
「じゃ、こちらの鮭と取りかえっこしましょう」
 仲よく交換していると、通路を若い娘が二人連れでやってきて、上気した顔で暁斗に話しかけた。
「あのう、田中暁斗さんですか? バイオリニストの……」
 箸でつまんだ漬物を空中で止めて、暁斗はややぎこちなく答えた。
「ええ、そうですけど」
 とたんに娘たちはホッとした様子で、表情が明るくなった。
「やっぱり? 大宮のG音楽ホールでメンデルスゾーン聴きました。 すっごくよかったです!」
「どうも」
 暁斗はちょこんと頭を下げた。 もう少し愛想よくできないものかと、まき子がはらはらしながら見守っていると、娘の一人が可愛らしい小型ノートを出してきて、暁斗に頼んだ。
「すいません、サインお願いできますか?」
「あ、はい」
 まだ全然慣れていない手つきで、暁斗はノートを受け取った。 まき子が素早くバッグからボールペンを取り出して渡した。
 後についてきた方の娘が、まき子に笑顔を向けて小声で尋ねた。
「どこまで行かれるんですか?」
 感じのいい子だった。 まき子もにこっと微笑を返した。
「仙台です」
「わ、残念。 私達は白石蔵王で降りるんですよ」
 一緒に仙台まで乗っていきたかったらしい。 小さな溜め息をついた後、娘は思いついたように手提げを覗いた。
「あの、妹が気持ちよくサインしていただいたんで、お礼にこれ、受け取ってもらえませんか?」
 そう言って差し出したのは、妹という人が暁斗に渡したのと似た小型のノートで、ビニールの袋で包装してある新品だった。
「私たち取手〔とりで〕で文具店をやってるんです。 これ妹がデザインしたミニノートとミニレターのセットで、うちの人気商品なんですよ。 表紙の花がいろいろあるんですけど、これが一番お似合いかなと思って」
「まあ、ありがとうございます」
 まき子は喜んで受け取った。 二人は暁斗にも改めて礼を言って、楽しそうに自分たちの席へ戻っていった。
 まき子が、貰ったノートを開けて見ていると、暁斗が覗きこんだ。
「感じのいい人たちだったね」
「このノートもかわいい」
 表紙に赤いカーネーションが二輪描かれていて、下に金箔で花言葉が押してあった。
 暁斗が、声に出して読んだ。
「『純粋な愛、試練に耐える誠実』
 へえ、あの人、選び方うまいな」




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