表紙
春風とバイオリン

 1


「さあ、花金、花金!」
「ねえ、帰りにディスコ寄ろうか」
「どこの? 『ディナール』?」
「それもよいわね。 『ポップアップ』もさあ、フロアが広くてハンサムくん一杯なのよ」
 まだ夕方の六時前だというのに、大岩商事の五階では、真っ赤なルージュを塗ったOLたちが、ブランドのバッグに身の回り品を詰めながら盛んに相談しあっていた。
「でも、ディナールは新宿でしょ? わざわざ混む中央線乗っていくの?」
「任せて! 四人までならアッシーくんのスポーツカーに乗せたげるから」
「きゃ、アッシーくんいるの?」
「そうなの。 合コンで知り合ったんだけどね、年中王様ゲーム! もち私が王様よ」
 王様、というより女王さま気取りで、石山真砂子〔いしやま まさこ〕は仲間を呼び集めていたが、奥でひっそりとタイプを打っている娘に目が行くと、ちょっと唇をひねって、つかつかと近づいていった。
「ねえ、お嬢?」
 娘は手を止め、えらく真っ直ぐな眼差しで見返した。
「なに、石山さん?」
 この相手には、石山もしゃべりにくそうだった。 ワンレンの髪をサッと後ろに払うと、気後れも同時に払いのけて、聞こえよがしに言った。
「あなたも入れると五人になっちゃうけど、まさか行かないわよね」
「どこに?」
 無邪気に聞き返されて、石山の目がキンと尖った。
「聞いてなかったの?」
「仕事中だから」
「ああはいはいそうですか。 ほんと真面目で結構でござんした」
「もう一枚で終わるの。 来週まで持ち越すの嫌で」
「私達はこれからディスコ。 たぶん新宿の『ディナール』に行くと思うけど。 ね? 行かないてしょ?」
 お嬢と呼ばれた娘は、小動物を思わせるくりっとした瞳をしばたたかせた。
「面白そうじゃない。 行こうかな」
 石山だけでなく、待機していたOLたちの顎が、一斉にがくんと下がった。
「え…… 行く、の?」
「後からね。 これを終わらせてから」
 お嬢はすまして言い、新しい紙をペーパーガイドに挟んだ。

 四人は急いでロッカールームに退散し、制服を肩パット入りのスーツやワンピースに着替えながら、よからぬ相談をした。
「ディナールもポップアップも止めとこう。 『シェ・ドニーズ』ならあの子わかんないよ」
「あの子って、もう二十七よ。 ろくにメイクしないから若くみえるだけで」
「染小路〔そめのこうじ〕さんてさ、家柄いいんでしょ? もと華族のお姫様って」
 石山は喉の奥が見えるほど大口を開けて笑った。
「もとがどうだったって、今は私たちと同じ、普通人よ。 普通以下かもしれない。 いつも平凡な服着て、妙にまじめでさ。 あの人の稼ぎに、生活力のないお公家さん一家がぶらさがってるんじゃない?」
 さすがにこの悪口には、みんな白けた。 慌てた石山は、素早く言い直した。
「どっちみち染小路さんは壁の花になるだけだから、面倒みるの嫌な人!」
「はい!」
「まあ、はい。 気遣わないでワッと騒ぎたいもんね」
 ばらばらと手が上がり、四人は賑やかにロッカーを閉めて、われ先にエレベーターへ突進した。




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