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暁斗が急いでバイオリンをケースに置き、大股でやってきた。
「止めろよ余計なこと言うの」
「事実でしょ?」
呉島がニヤついた。
「金持ちのお嬢ちゃんに飼われるつもりはないなんて、グァルネリ貸してくれてた社長に言っちゃったんだよね〜。 で、社長令嬢を泣かせて、バイオリン取り上げられて。 ほんと世渡りの下手な奴だと思ってたら……」
すねに蹴りを入れられて、呉島はすっぱい顔になって口をつぐんだ。
まき子は、初めて暁斗と逢った日のことを、すばやく思い出した。 実業家のオヤジが金に目くらんで、バイオリンをライバルに渡した――確かそんな風に説明されたと思うが、本当は金ではなく、恋の恨みだったらしい。
高山が、穏やかな口調で言い返した。
「暁斗は頭じゃなくて心で付き合うんだよ。 人それぞれで、いいじゃないか」
「悪いなんて言ってないよ、俺」
呉島はもうケロリとしていた。
「こんなにかわいい人とは予想しなかったしさ。 親指姫と呼んでいいですか?」
「おいっ!」
暁斗が怒鳴ったが、まき子はおっとりと微笑んで答えた。
「構いませんわ。 小学校でそう呼ばれていました」
「ほんとに?」
高山と暁斗が、声を揃えて叫んだ。
間もなく、親指という前半分は省略されて、『姫』という仇名になった。 口が悪かったり、面構えが悪かったり、各人各様だが、この連中が仲間として暁斗を支えていることを、まき子はすぐに悟った。
彼らの輪の中に、まき子は不思議なほどしっくりと溶け込んだ。 年上として相談を持ちかけられることもあるし、童顔なので子ども扱いされることもあった。
コンクール優勝後、暁斗の仕事は急に増えた。 首都圏だけでなく、東北や九州の音楽祭からの依頼が相次いだ。
だが、暁斗はためらっていた。 実力を生で見てもらえる絶好のチャンスなのになぜ? と、まき子が尋ねると、思わぬ答えが返ってきた。
「俺、出演交渉が何より苦手。 細かい取り決めができないから、遠方に行くと必ず手違いが起きちゃって、演奏する前に嫌になるんだ」
これは大変だ。 まき子は、すぐに心を決めた。
「私にお手伝いさせて。 もうじき辞めるから、今はほとんど仕事の引継ぎが終わっているの。 早めに退職して、向こうの音楽祭会場までご一緒するわ」
「わー、ほんとに? ありがとう!」
暁斗は、飛びあがりそうに喜んだ。
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