表紙
春風とバイオリン

 47


「お父様、電話をかけに行っていいですか?」
 平静な声で発せられたまき子の問いに、和麿はやや驚いた面持ちで片眉を上げた。
「直接本人に問いただすのかね?」
「いえ、こちらの事情だけお話します」
 まき子はあくまでも静かだった。

 広い家の中には、いくつも電話がある。 暁斗を小鳥の間に残して、まき子は第二応接間に向かった。
 『こでまり』にかけると、店長が取り次いでくれた。 博史はすぐ電話に出た。
「まきさん? どうしたの。 来られない用事ができた?」
「そうなの、ごめんなさい」
「今どこ?」
 言っていいものだろうか。 まき子がためらっていたとき、部屋に備え付けの大時計が、一時半の時報をボーンと大きく鳴らした。
 染小路家に始終出入りしている博史には、その音ですぐピンと来たらしかった。
「君のうちだね。 家に帰ってたのか」
「ええ。 急用ができて」
 博史は一拍、間を置いた。
「どんな? 僕には訊く権利があるよね」
「そうね」
 まき子は穏やかに答えた。
「今日のお昼、プロポーズされたの」

 今度の間合いは、さっきよりずっと長かった。
 それから、低く噴き出す声が聞こえた。
「プロポーズって……君は僕の婚約者だろう?」
「ええ、そうね。 でも、長い一生を決めることだから、お父様とも相談して……」
「もう和麿おじさまに話したのか?」
 急に博史の声が尖った。
「何やってるんだ! 僕は権利を主張するよ。 正式な婚約は神聖なものだ。 そのときの気分で簡単に左右されるような軽いものじゃないんだ!」
「気分ではないの」
 しっかりと、まき子は言い返した。
「気持ちの結びつきなの。 相性と言い換えてもいい。 一緒にいると落ち着ける人なの」
「認めないよ」
 博史はせせら笑った。
「あんな財産狙いのチンピラなんか」
 明らかに彼は、誰がまき子に申し込んだのか、聞かなくても正確にわかっていた。





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