表紙
春風とバイオリン

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 すぐに門が開いた。 二人が躍るように小走りで正面玄関まで歩を運ぶと、家政婦の三島があたふたと出てきた。
「まあお嬢様、お帰りなさいませ。 今日はお早かったんでございますね」
「急に休みになったの」
 半分本当の話をして、まき子は爽やかな笑みを返した。
「お父様は? いらっしゃる?」
「はい。 今お昼を召し上がって、小鳥の間でレコードを聴いておいでです」
 小鳥の間。 そこは、暁斗がバイオリンを借り受けた部屋で、楽しくビデオ撮影をした場所でもあった。
 まき子と暁斗は眼を見交わし、暁斗のほうが真剣な表情で頼んだ。
「急に来てすみませんが、ご当主に話を聞いてもらいたいんです。 少しでも時間をいただけないか、聞いてきてくれませんか?」
 言葉遣いが少々下手だったが、強い思いは伝わったようだった。 三島は、まずまき子の顔を見て、まき子がわずかにうなずくのを確かめてから、返事した。
「わかりました。 上がってお待ちくださいね」


 三島が長い廊下を歩いていく後ろ姿を目で追いながら、暁斗は独り言のように呟いた。
「ビデオに撮ってもらったのは、コンクール用じゃなかったんだ。 もう会っちゃいけないと思ったから、まき子さんを録画して、区切りつけようと思った。
 でも、うちに帰って見返して、はにかんでるまき子さんの声がスピーカーから出るたびに、もう一回聞きたいと思って、また巻き戻して、そうやって何度も何度もやってるうちに、テープが引っかかって切れた。
 もう逢えないのかなって思ったら、我慢できなくなった。 あのお高い助教授に、まき子さんを取られたくないって、思ったんだ!」
 取ろうとしているのは、むしろ暁斗のほうなのだった。 だが、不器用ながら心を込めて語っている青年と、黙って前に立っている娘には、矛盾が矛盾と感じられなかった。
 むしろ、ごく自然な成り行きだった。
 

 やがて、小さな足音を響かせて、三島が戻ってきた。 そして、玄関に立ち尽くしている二人を発見して、眉を寄せながら近づいた。
「まあまあ、まだこんなところに。 旦那様がお会いになるそうですよ。 どうぞこちらへ」





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